ジャン=シャルル・ド・カステルバジャック

Jean-Charles de Castelbajac

フランス・パリを拠点に、ファッション、アート、デザインを横断するデザイナー/クリエイティブ・ディレクター

ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックについて

フランス・パリを拠点に活動するファッションデザイナー、アーティスト、デザイナー。1949年にカサブランカで生まれ、1960年代末から衣服を起点に絵画、ドローイング、家具、空間演出、舞台衣装、広告、ストリートアートへ表現領域を広げてきた。毛布やモップなど既成の用途を離れた素材を衣服に転用し、アップサイクルの先駆的な実践として注目を集めたほか、原色、ポップアート、子どもの想像力、歴史的モチーフを取り込んだ大胆なデザインで知られる。衣服に絵画や漫画的な図像を直接描き込む手法、アーティストやミュージシャンとの協働、ファッションと現代美術を横断する展示やパフォーマンスを通じ、デザイナーの役割を拡張してきた人物。自らの名を冠したメゾンを設立し、SportmaxIcebergCourrègesBenettonなどの活動にも関わりながら、展覧会、公共空間の壁画、家具・陶磁器、宗教美術へ制作を展開。2024年にはノートルダム大聖堂再開に向けた典礼服と装飾品を手がけ、2025年末から2026年にかけてトゥールーズのレ・ザバトワールで大規模回顧展が開催されるなど、現在もファッションを核に複数分野を横断する創作を続ける。

キャリアタイムライン

ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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Ko & Co デザイナー 1968 - 1978
Iceberg デザイナー 1974 - 1975頃(推定)
Sportmax クリエイティブ・ディレクター / アーティスティック・ディレクター 1976 - 1977頃(推定)
Courrèges アーティスティック・ディレクター 1993 - 終了時期不明

時期不明・開始年不明の経歴

Max Mara

アーティスティック・ディレクター

時期不明

時期不明

経歴

パリのボザールで美術を学んだ後、École supérieure des industries du vêtementで服飾産業と衣服設計を学ぶ。美術教育と服飾の専門教育を並行して受け、絵画的な発想と素材・製作への関心を結びつけた修業背景。
1968年、母とともにブランドと会社Ko & Coを立ち上げ、毛布を仕立てコートやモップを用いた衣服によって、既成概念を崩すデザイナーとして頭角を現す。1970年に最初のコレクションを発表し、1972年には最初のブティックを開設。1974年にはIcebergの創設に関わり、1970年代後半からはMax MaraのSportmaxなど、既存のファッション企業とも協働した。1978年に自らの名を冠するメゾンを設立し、鮮やかな色彩、ポップアート的な図像、漫画や人物のモチーフ、異素材の転用を軸に独自のスタイルを確立。1990年代にはCourrègesのコレクションにも携わり、服飾に加えて舞台衣装、映画衣装、広告、家具、プロダクト、店舗や空間の演出へ活動を広げた。1986年にニューヨークのFashion Institute of Technology、2006年にロンドンのVictoria and Albert Museum、2007年にパリのガリエラ宮で作品が紹介され、ファッションデザイナーと現代美術家の両面で評価を受ける。2015年にはパリ・オルリー空港に大規模な壁画を制作。2018年にはUnited Colors of Benettonのメンズ・ウィメンズコレクションのアーティスティックディレクターに就任した。以後も家具、陶磁器、公共彫刻、展覧会演出などを手がけ、2024年にはノートルダム大聖堂再開のための典礼服と装飾品を制作。2025年12月から2026年8月にはトゥールーズのレ・ザバトワールで、衣服、オブジェ、ドローイング、写真を含む大規模な回顧展が開催される。

Max Maraとの関わり

時期不明
アーティスティック・ディレクター
ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックは、Max Maraが採用してきた匿名的な協業体制のなかで、1970年代を中心にアーティスティック・ディレクターおよび外部デザイナーとして関与した人物。資料上は1970年代から1990年代にかけてMax Maraのアーティスティック・ディレクターを務めたとされる一方、個々の担当範囲や在任期間を明確に示す記録は限られており、Max Mara本線の単独クリエイティブ責任者というより、グループ内の複数ラインに創造性を提供した協業者として位置づけるのが妥当。とりわけ若年層向けで実験性の高いSportmaxでは、1976年の初ランウェイをLaura Lusuardiと共同で設計し、1977年秋冬コレクションのスケッチも手掛けたとされる。フードやカウル、ボリュームのあるアウター、身体を包み込むような構築的シルエットを通じて、Max Maraグループの実用的な生産基盤に、ポップアート、異素材、未来的な衣服構造、若者文化の感覚を接続した役割。ブランド名を個人名より前面に置くMax Maraの方針のもと、作家性を強く打ち出すのではなく、Sportmaxの初期イメージとデザイン言語を一時期に印象づけた外部クリエイターとして機能した関係

在任期

正確な就任・退任年月は確認できないが、Max Maraとの関係は1970年代から始まり、Sportmaxでは1976年の初ランウェイと1977年秋冬コレクションへの関与が確認される。資料によっては1970年代から1990年代にかけてMax Maraのアーティスティック・ディレクターとされるが、単独の長期統括者というより、社内責任者や他の外部デザイナーと並行して活動した移行期・協業型の関与とみられる

影響

Max Maraグループの匿名的で商品化を重視する設計体制に、ポップ性、アート性、異素材使い、未来的なシルエットを持ち込んだ点が主な影響。特にSportmaxでは、ニットのフードやカウル、ボリュームのあるアウターを組み合わせ、スポーツウェア由来の機能性を前衛的なファッション表現へ拡張した。彼の関与は、Sportmaxを実用的な若者向けラインから、実験的なデザインブランドへ押し広げる初期の方向づけに寄与したと整理できる

Courrègesとの関わり

1993 - 終了時期不明
アーティスティック・ディレクター
1993年、創業者アンドレ・クレージュに後継者として選ばれ、Courrègesのウィメンズ・プレタポルテを担った外部デザイナー。長期的にブランド全体を単独統括したというより、移行期に二つのコレクションを手掛け、創業者の後を受ける候補としてブランドの次段階を示した関与と位置づけられる。Courrègesが築いてきた未来志向の構築性、幾何学的なシルエット、機能性を踏まえながら、ジャン=シャルル・ド・カステルバジャック自身のポップアート的感覚、鮮やかな色彩、異素材の組み合わせ、既存の服飾コードを転換する発想を接続。伝統的なCourrègesの造形をそのまま反復するのではなく、1990年代の感性に合わせて若々しく再編集する役割を担った。彼の起用は、創業者の美学を継承しつつ、ブランドの将来像を外部の作家性によって探る試みでもあり、Courrègesがアンドレ・クレージュ個人の歴史から次のクリエイティブ体制へ移行する過程を象徴する出来事。資料上は1993年から1994年頃にかけての短期的な関与として整理され、正式な長期在任よりも、後継期におけるデザイン提案とコレクション制作に重点が置かれる

在任期

1993年、アンドレ・クレージュの招請を受け、後継者としてCourrègesのウィメンズ・プレタポルテを担当。二つのコレクションを制作したとされ、資料によっては1993〜1994年の関与として整理される。創業者の引退・体制移行を背景とした短期的な就任であり、長期的な単独統括というより、Courrègesの次代を探る移行期のアーティスティックな起用

Jean-Charles de Castelbajacとの関わり

1978 - 2016
デザイナー
ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックは、1978年に自身の名を冠した Jean-Charles de Castelbajac を立ち上げ、2016年までブランドのクリエイションを主導した創業者兼デザイナー。外部から招かれた一時的なクリエイティブ責任者ではなく、ブランド名と本人の創作活動が直結する体制のもとで、コレクションの方向性、服の設計、素材の扱い、表現方法を継続的に担った。ブランドでは、従来のラグジュアリーや既成の服づくりに収まらない発想を、ポップアートや大衆文化、ユーモア、異素材の組み合わせを通じてファッションへ転換。毛布や日用品など本来の用途を離れた素材を衣服へ置き換える考え方や、グラフィカルなモチーフ、身体を包み込むシルエット、遊びのある装飾を取り入れ、服を着るための実用品であると同時に、視覚的な作品として成立させた。自身の名を冠するブランドは、こうした自由な発想と強い個人性を最も直接的に展開する場となり、ファッション、アート、音楽、ポップカルチャーの境界を横断する表現を継続。デザイナー本人の美学をブランドの核に据えながら、シーズンごとのコレクションを通じて、前衛性と日常性、機能性とイメージ性を接続する役割を果たした。2016年までの在任期間を通じて、ブランドの創作上の判断とイメージ形成を担う中心人物として位置づけられる。

在任期

1978年、自身の名を冠したブランドを創設し、2016年までデザイナーとして継続的に関与。ブランド名と本人の創作活動が一致する創業者主導の体制で、外部デザイナーから後任へ移る一般的な交代型ではなく、本人の美学を軸にコレクションを運営した期間。

影響

ポップアートや大衆文化、異素材の転用、ユーモアを取り込むデザインによって、ブランドを個人の創作性が前面に出るファッションハウスとして形成。衣服を実用品にとどめず、グラフィックや造形を備えた表現媒体として提示し、ファッションとアートを横断するブランドイメージを確立した。

Sportmaxとの関わり

1976 - 終了時期不明
クリエイティブ・ディレクター アーティスティック・ディレクター
Jean-Charles de Castelbajacは、Sportmaxの創成期にブランドの美学と方向性を形づくったデザイナーの一人。1970年代、Max Mara本線とは異なる、より実験的で若々しいラインとしてSportmaxが発展する過程で、Nanni Stradaとともに初期のビジョン形成に関与した。Sportmaxの公式ヒストリーでは、両者がブランドのaesthetics and visionを形成した人物として位置づけられ、1977年秋冬コレクションにはカステルバジャックのスケッチも記録されている。彼の役割は、在任期間や正式な肩書きが明確に示された単独のクリエイティブ・ディレクターというより、立ち上がり期のデザイン構想に参加した協業デザイナーとして捉えるのが妥当。スポーツウェアの機能性や自由な動きに、グラフィカルでモード性のある感覚を重ね、SportmaxをMax Maraの定番的なエレガンスから差別化する初期の土台に寄与した。Max Maraグループでは当時、著名デザイナーを招きながらも個人名を前面に出さず、ハウスの匿名的な制作体制のもとで協働する方針が取られていたため、カステルバジャックの関与もブランド名の背後に置かれたものだった。Sportmaxにおける彼の位置づけは、長期的なブランド運営者というより、実験性と若い感性を導入した初期形成者という性格が強い。

在任期

関与時期は1970年代とみられるが、就任日や退任日は明確に公表されていない。Sportmaxが1969年のPOPコレクションを起点に発展し、1976年に初のショーを行った創成期に、Nanni Stradaと並んでブランドの美学と方向性を形成した人物として記録される。1977年秋冬コレクションにも関与の痕跡がある一方、単独の長期在任や正式な交代時期まで特定できる資料は限られる。

影響

Sportmaxの初期に、Max Mara本線とは異なる実験性、若々しさ、自由なムードを与える役割を担った。Nanni Stradaとの協働を通じて、スポーツウェア的な動きと当時のモード感を結びつけ、Sportmaxがより先鋭的で変化の見えるラインとして発展するための美学的な基盤を形成した。後年のブランド運営を継続的に主導した人物ではないが、創成期の方向性を定めた重要な協業デザイナーとして位置づけられる。

Icebergとの関わり

1974 - 終了時期不明
デザイナー

Ko & Coとの関わり

1968 - 1978
デザイナー
Ko & Coにおける共同創業者兼デザイナー。1968年、母ジャンヌ=ブランシュ・ド・カステルバジャックとともに同社を立ち上げ、リモージュを拠点とするプレタポルテの初期コレクションを手がけた。既存の素材や日用品を衣服へ転用する発想を早くから取り入れ、寄宿学校の毛布を裁断したコートや、雑巾を用いた服など、素材の常識を反転させる実験的なデザインを展開。こうした制作は、衣服を単なる実用品にとどめず、アートやポップカルチャー、ユーモアと結びつける彼の初期姿勢をKo & Coの活動に持ち込むものだった。従来の高級素材や装飾性に依存せず、身近な素材の質感や用途を組み替えることで、若い世代に向けた自由で反慣習的なプレタポルテの方向性を示した点が特徴。Ko & Coは、彼がデザイナーとして自立し、独自の造形言語を形成していく出発点に位置する。1970年代には外部の評価を得ながら活動領域を広げ、1974年のIceberg創設や他社との協業へ進む一方、1978年には自身の名を冠したメゾンを設立。Ko & Coで培った再利用、色彩、グラフィカルな表現、既成概念から距離を置く服づくりは、その後のブランド活動にもつながる初期基盤となった。

在任期

1968年、母ジャンヌ=ブランシュとともにKo & Coを立ち上げ、同社の初期プレタポルテをデザイン。ブランド固有の役職を長期にわたり単独で担うというより、創業者の一人として商品開発と初期の方向づけを担った時期にあたる。1970年代を通じて他社との協業や自身の活動を並行して広げ、1978年に名を冠したメゾンを設立したことで、Ko & Coを起点とする初期段階から独自ブランド中心の活動へ移行した。

影響

Ko & Coにおける最大の意義は、ジャン=シャルル・ド・カステルバジャックの初期デザイン思想を、実際のプレタポルテとして形にした点にある。毛布や雑巾など既存素材の転用、鮮やかな色彩、日用品を服へ読み替える発想によって、従来の素材観や服づくりの慣習から距離を置く方向性を提示。後年のアート、ポップカルチャー、アップサイクルを横断する作風の基礎を築いた。