ナンニ・ストラーダ
Nanni Strada
ミラノを拠点に衣服の構造設計と素材開発を探究するイタリアのファッション・テキスタイルデザイナー/クリエイティブ・ディレクター
- 国籍
- イタリア
- 主なブランド
- 更新
-
最終更新日: 2026.07.31
ナンニ・ストラーダについて
ナンニ・ストラーダは、ミラノを拠点に活動するイタリアのファッション・テキスタイルデザイナー、クリエイティブ・ディレクター。衣服を流行や既成の仕立てから切り離し、身体、素材、製造技術を統合する設計対象として捉えてきた。1960年代からファッション産業に関わり、カデット、フィオルッチ、ラ・ペラ、ミッソーニ、アヴォン・チェッリ、ドロミテなどの企業やブランドと協働。1970年頃にはSportmaxのコレクションにも携わり、若者向けの実用性と工業デザイン的な衣服構成を結びつけた。直線的な裁断、幾何学的なフォルム、単一サイズ、チューブ状のニット、無縫製構造、伸縮性や圧縮性を備えた素材の研究を通じて、身体の動きに適応する服づくりを展開。1970年代には東洋の衣服研究を起点に、衣服を身体に合わせた建築として考察し、1979年には「マントと皮膚」によってコンパッソ・ドーロを受賞した。1980年代以降は旅行用衣服、スポーツウェア、アクセサリー、プロダクトへ領域を広げ、1990年代からは大学やデザインスクールで教育活動にも従事。ファッションを技術、工業、文化を横断する設計領域として提示した先駆者の一人。
キャリアタイムライン
ナンニ・ストラーダとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。
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時期不明・開始年不明の経歴
デザイナー
時期不明
時期不明
デザイナー
時期不明
時期不明
デザイナー
時期不明
時期不明
デザイナー
時期不明
時期不明
経歴
1960年代からファッションの世界で活動を始め、カデット、フィオルッチ、ラ・ペラ、ミッソーニ、アヴォン・チェッリ、ドロミテ、エルメネジルド・ゼニアなどと協働した。1966年にはフィオルッチのためにプラスチック製サンダルや射出成形による靴を手がけ、1967年にはカデットから自身のコレクションを発表。1970年頃にはSportmaxのコレクションを設計し、若者向けの実用性と幾何学的な衣服構成を結びつけた。1970年代は東洋の衣服研究を起点に、仕立ての慣習に依存しない一枚布構造や無縫製の衣服を探究。1973年に「マントと皮膚」を発表し、1974年には靴下編み機を用いた無縫製衣服を実現した。この研究により1979年、コンパッソ・ドーロを受賞。1980年代には圧縮可能な旅行用衣服「トルション」などを開発し、1986年にナンニ・ストラーダ・デザイン・スタジオを設立した。以後は日本、ポルトガル、中国、旧ソ連などでファッション、アクセサリー、スポーツウェア、プロダクトのデザインを展開。1990年代からは大学やデザインスクールで教育活動を行い、1999年にはミラノ工科大学デザイン学部でファッションデザインのラボを開設。展覧会、出版、講演、ワークショップを通じて、衣服を技術と文化を横断する設計として提示してきた。
Visconti di Modroneとの関わり
時期不明
デザイナー
Nordicaとの関わり
時期不明
デザイナー
Dolomiteとの関わり
時期不明
デザイナー
Ermenegildo Zegnaとの関わり
時期不明
デザイナー
Sportmaxとの関わり
1970 - 終了時期不明
クリエイティブ・ディレクター
Nanni Stradaは、SportmaxがMax Maraグループ内で独自の方向性を確立していく創成期に、ブランドの美学とビジョンの形成を担った主要デザイナーの一人。1970年代のSportmaxは、Max Mara本線が築いてきた端正で実用的なワードローブを基盤としながら、より若々しく、実験的で、身体の動きに寄り添うラインとして発展していった。ストラーダはJean-Charles de Castelbajacと並び、その初期イメージを形づくった人物としてブランド史に位置づけられる。担当したのは、単一のアイテムや一時的な企画に限られず、Sportmaxを本線とは異なる感性で見せるためのシルエット、素材感、スポーツウェアに通じる軽快さ、自由なムードの方向づけ。既存のMax Mara的な仕立てや機能性をそのまま踏襲するのではなく、より動的で開放的な表現へと再編集し、Sportmaxの実験性を支える初期の基盤を築いたと考えられる。公開資料では、単独で長期にわたり全体を率いた正式なクリエイティブ・ディレクターとしての詳細な在任記録や担当範囲は明確ではない。そのため、ストラーダはSportmaxの創成期における美学形成者、ブランドの初期ヴィジョンを担ったクリエイティブ人材として捉えるのが適切。後年のデザイナー交代を経ても、Sportmaxが持つ若々しさや可動性、既成概念にとらわれない服づくりの出発点に関わった存在として残る関係
在任期
1970年代のSportmax創成期を中心に、ブランドの美学と方向性の形成に関与。Jean-Charles de Castelbajacとともに初期のビジョンを形づくった人物として記録されるが、正式な就任時期、退任時期、単独での担当期間については資料上の詳細が限られる。後続の1980年代以降はGuy PaulinやGrazia Malagoliらへ主担当が移る流れのなかで、初期形成を担ったデザイナーとして位置づけられる
La Perlaとの関わり
1969 - 終了時期不明
デザイナー
Missoniとの関わり
1969 - 終了時期不明
デザイナー
1969年頃のMissoniでデザイナーとして関わった人物。確認できる資料では、在任期間や担当ライン、個別コレクションにおける役割までは明確に区分されていないため、単独のクリエイティブ責任者や長期のデザイン統括者ではなく、ブランドの制作に参加したデザイナーとして位置づけるのが妥当。衣服を身体と空間の関係から捉え、幾何学的な構成や工業素材、着用方法の柔軟性を重視した設計思想を持ち、Missoniでの関与もその初期の実験的なデザイン活動の一部にあたる。ただし、Missoniの色彩表現やニット開発に対する具体的な影響範囲を示す記録は乏しく、ブランドの代表的な美学を彼女個人の功績として断定することは避けるべき関係。
Avon Celliとの関わり
1969 - 終了時期不明
デザイナー
1969年頃、デザイナーとしてAvon Celliの服飾開発に関与した人物。Nanni Stradaは、衣服を身体と空間の関係から捉え、直線的な裁断や幾何学的な構造、素材と生産技術の接続を重視する設計思想を持ち、Avon Celliでもその初期のデザイン活動の一環としてブランドのコレクションに携わったとされる。ただし、担当した具体的なコレクションや役職、在任終了時期については資料上の詳細が限られており、Avon Celliとの関係は初期キャリアにおけるデザイナーとしての関与として位置づけられる。
Cadetteとの関わり
1967 - 終了時期不明
デザイナー
Fiorucciとの関わり
1966 - 終了時期不明
デザイナー
1966年頃、Fiorucciのブランド形成期に関わった外部デザイナー。衣服全体のクリエイティブ統括ではなく、アクセサリーと履物を中心に、当時まだ新しかったプラスチック素材や射出成型技術を用いたプロダクト設計を担った。特に、プラスチック製サンダルや射出成型によるシューズを手掛け、Fiorucciが志向した若々しく実験的なファッションと、工業素材・量産技術を結びつける役割を果たした。従来の革靴や装飾的なアクセサリーとは異なる、軽快で視覚的な強さを持つ履物を提案し、Fiorucciの初期におけるポップで自由な商品開発を支えた人物。後年の構造的な衣服研究につながる、身体の動きや素材の特性を重視した設計思想も、この時期の実践に表れている。Fiorucciにおける関与は長期のブランド運営や単独のデザインディレクションではなく、ブランド初期のアクセサリー・フットウェア開発における専門的な協業として位置づけられる。
在任期
1966年頃、Fiorucciの本格的なブランド展開に先行する形成期から関与。エリオ・フィオルッチの革新的な商品開発を支える外部デザイナーとして、アクセサリーや履物の設計を担当したとされる。正式な就任・退任年や継続的な在籍形態は明らかでなく、ブランド全体を長期に統括した役職ではなく、初期プロジェクトを軸とした協業とみるのが妥当。1967年前後のサンダル開発との関係も指摘されるため、関与時期には資料上の幅がある。
在任中のコラボレーション
この人物が関わった期間に確認できるブランド間コラボレーションです。
関連情報
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