szu

ソフィア・ココサラキ

Sophia Kokosalaki

ギリシャ 1972 2019 (享年46歳)

ギリシャ出身、ロンドン拠点のファッションデザイナー/ブランド創設者・元Vionnetクリエイティブディレクター。

最終更新日: 2026.03.28

ソフィア・ココサラキについて

ギリシャ出身でロンドンを拠点に活動したファッションデザイナー。アテネ大学でギリシャ語・英文学を学んだ後にロンドンのセントラル・セント・マーチンズでウィメンズウェアの修士号を取得し、1999年に自身のブランドを立ち上げた。古代ギリシャやミノア芸術に由来するドレープや精緻なプリーツ、ジャージーやレザーの質感を組み合わせたフェミニンかつ構築的な服作りを特徴とし、レッドカーペットや舞台衣装でも広く着用された。2004年アテネ五輪の開閉会式衣装を手掛け、2006年にヴィオネのクリエイティブ・ディレクターを務めたほか、2009~2012年はDiesel Black Goldのクリエイティブを務めるなどブランド活動と多様なコラボレーションを行った。晩年はブライダルやジュエリー、Asos向けラインなどを中心に制作を続け、2019年10月13日にロンドンで逝去した。

キャリアタイムライン

ソフィア・ココサラキとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

左右にスクロールして確認

ブランド / 役職
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
Sophia Kokosalaki デザイナー 1999 - 2019
Vionnet クリエイティブ・ディレクター 2006 - 2007
Diesel Black Gold クリエイティブ・ディレクター 2009 - 2012

経歴

アテネの大学でギリシャ語・英文学を修めた後、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins)でウィメンズウェアの修士号(MA)を取得。CSM在学中はルイーズ・ウィルソンらの指導を受け、古典美術やテクスチャへの関心を衣服設計に結実させた。
1999年にロンドンで自身のブランドを立ち上げ、2000年代初頭のロンドンを代表する若手デザイナーの一人として台頭。2004年にはアテネ五輪の開閉会式で衣装デザインを統括し数千着分を制作、ビョークの公演衣装も手掛けた。2006年にヴィオネのクリエイティブ・ディレクターに就任するも短期間で退き、2007年にはブランドをOnly The Braveに売却、2009年に再取得して活動を継続した。2009~2012年はDiesel Black Goldのクリエイティブを務める一方で、TopshopやAsos向けのカプセル、イリアス・ララウニスとのジュエリー協業、2012年のブライダルラインなど多彩な商業プロジェクトを展開。近年は定期的なランウェイから距離を置き、2017年にウェブ上で最終ブライダルコレクションを公開した後は限定的な制作に専念した。2019年10月13日に逝去。

Diesel Black Goldとの関わり

2009 - 2012

クリエイティブ・ディレクター

Diesel Black Goldのウィメンズラインでクリエイティブ・ディレクターを務め、2009年6月の就任以降にブランドのプレミアム志向のプレタポルテ像を立ち上げた立場。デニムを核とするブランドの出自は継承しつつも、デニム単体に依存しないコレクション構成へと再解釈し、素材と仕立てによる差別化を図った。具体的にはブルージーンズをあえて用いないルック構成や、レザーや手仕事を強調したテクスチャー、キャメルやコニャックといった砂漠的な色調の導入などでブランドの表情を洗練させた。また、ニューヨーク・ファッションウィークでの定期的なランウェイ発表を通じてビジュアル言語を整備し、プレスやバイヤーへの訴求を強めて小売導入の機会を拡大した。自身の個人レーベルを並行して維持しながらDBGの数シーズンにわたる商品ラインとプレゼンテーションの方向性を整備し、在任期終了時には次代へ引き継ぐ形で離任した。

在任期

2009年6月にDiesel Black Goldのウィメンズクリエイティブ・ディレクターに就任し、約3年(複数の報道では6シーズン相当)にわたりコレクションを指揮した在任期間。ブランドのランウェイ体制と商品構成を本格化させる立ち上げ期を担い、最終的には2012年8月に退任して後任へ移行した。なお最終コレクションは2013年春夏として2012年9月のニューヨークでの発表が予定されていた。

影響

在任中の代表的な影響は、Diesel Black Goldを単なるデニム派生ラインから独立したコンテンポラリープレミアムの座へ位置づけ直した点。職人的ディテールや異素材の導入によって商品レンジの幅を広げ、ニューヨークでのランウェイ発表を通じてプレスと買い手の注目を集めた結果、ハイエンド小売への導入やブランド認知の向上に寄与したとされる。また、コレクションにおける素材実験や色彩の再定義がブランド表現の幅を拡大した点も評価に値する。

Vionnetとの関わり

2006 - 2007

クリエイティブ・ディレクター

Vionnetにおける立場・担当領域:復活期のメゾンVionnetでクリエイティブ・ディレクターに就任し、ブランドのレディトゥウェア復刻と国際的再導入を主導した。2006年の就任により、マドレーヌ・ヴィオネが築いたドレーピングの伝統を現代へつなぐ役割を担った。 継承と再解釈:バイアス裁ちや流れるようなドレープをブランドの出発点として尊重しつつ、ココサラキは自身の得意とするプリーツや素材表現を積極的に持ち込んだ。コレクションではパティナ加工したシルクやテクスチャード・クローク、伝統刺繍の引用などを用い、時に伝統的なバイアス裁ちとは異なる“バレル”形状や構築的シルエットを取り入れてヴィオネの美学を現代的に翻案した。招待制の低調なプレゼンテーションを経て、限定流通と高付加価値を備えたラインとして位置づけた。 在任の動向と帰結:ココサラキの在任は短期間にとどまり、初の復刻コレクション(春夏2007)は米誌で紹介されBarneys New Yorkでの限定発売により早期に商業的関心を集めたものの、2シーズンを手がけた段階で退任となった。退任後はMarc Audibetらが後任の役割を担い、短期的な注目とともに継続的なクリエイティブ戦略構築には結びつかなかった側面を残した。

在任期

2006年7月にアルノー・ド・ルメンの体制でVionnetのクリエイティブ・ディレクターに起用され、ブランドとして1939年以来となるレディトゥウェア復刻の立ち上げを任された。初の新作は2006年末に米誌で紹介され、2007年春にBarneysで限定発売される形で市場導入された。計2シーズン分のコレクションを手がけたのち2007年5月に退任し、Marc Audibetが後任に就いた。

影響

影響の概要:ココサラキ在任はヴィオネの商業的復活を象徴する局面で、1939年以来の本格的なレディトゥウェア復刻を実現したことによりメゾンの注目度を一気に高めた。Barneysとの独占流通と高級素材の採用により初回納品は短期間で完売するなど商業的反応を得た一方、在任が短期だったため長期的なブランド再定位や継続的なクリエイティブ統一には至らなかった。

Sophia Kokosalakiとの関わり

1999 - 2019

デザイナー

創業者兼チーフデザイナーとしての立場・担当領域を短く定義すると、Sophia Kokosalaki は1999年にロンドンで自身の名を冠したブランドを立ち上げ、メインコレクションのデザイン、素材・縫製手法の開発、ショー表現と商品化戦略を一貫して主導した。古代ギリシャのドレーピングやプリーツを現代的に再解釈し、レザーや厚手素材を布のように扱う技術や手仕事をブランドの核に据え、エディトリアルやセレブリティに支持される洗練されたフェミニニティを確立した。事業面では2007年にOnly the Brave/Staff Internationalによる資本参加があり、その後の買い戻しを含む資本移行や外部リソースの活用を経ながら、2006–2007年のVionnetでのクリエイティブディレクター就任や2009–2012年のDiesel Black Goldでのクリエイティブディレクター兼務といった外部活動を通じて、自ブランドの方向性と流通戦略(2012年のKoreによるASOS展開、ブライダルやジュエリーの導入など)を調整・拡張した。これらの取り組みにより、手仕事と現代的な構築性を両立させるブランド表現を深めた。

在任期

1999年のブランド立ち上げから2010年代にかけて、創業者兼メインデザイナーとしてコレクションと制作体制を主導した。2006–2007年にVionnetの短期的なクリエイティブディレクター就任を経験し、2007年にはOnly the Brave(Staff International)による資本参加という転機を迎え、その後買い戻しを含む移行期があった。2009–2012年はDiesel Black Goldのクリエイティブディレクターを兼務し、2012年以降はKore(ASOS)やブライダル/ジュエリーといった事業拡張を進めながらブランドの運営を続けた。

影響

ブランドに対する主な影響は、古代ギリシャのドレーピングと手仕事を現代のレディトゥウェアへ翻案した美学の定着と、それを軸にした国際的な認知の獲得にある。編集部やセレブの支持を背景に、ハンドクラフト志向と商業展開(資本提携、外部ブランドでのクリエイティブ就任、手の届くラインの展開など)を並行させる事業モデルを提示し、2000年代のロンドン発の新世代デザイナー潮流の一角を担った点がブランドに残した代表的な遺産に当たる。

関連ブランド

関連する人物

Diesel Black Gold

2012 - 継続中または終了年不明

アンドレアス・メルボスタッド

クリエイティブ・ディレクター

アンドレアス・メルボスタッドについて

ファッション・クリエイティブディレクター/デザイナー(ノルウェー出身、ニューヨーク拠点)

ノルウェー出身のファッション・クリエイティブディレクター。オスロ生まれで拠点はニューヨーク。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでウィメンズウェアの修士号を取得後、パリとニューヨークのメゾンで実務経験を重ね、国際的なブランドのコレクション統括とイメージ戦略を担うようになる。PHIでクリエイティブ・ディレクターを務め、後にDiesel Black Goldのデザインとグローバルイメージの統括を任され、テーラリング、デニム、レザー、ニット、アウター、アクセサリーなど幅広いプロダクト群の開発を牽引。近年は自身の名義でシーズンレスかつサステナブルなユニセックス・コレクションを発表し、プロダクト設計からサプライチェーン改善までを含むコンサルティング業務も継続。プロポーションの操作と機能性を重視したミニマルでユーティリタリアンな美学を特徴。ランウェイ、キャンペーン、ビジュアルアイデンティティの構築にも深く関与し、コレクション表現と商業性の橋渡しを行う。キャリアは20年以上に及び、素材と生産品質への拘りを持ってブランド戦略を推進する。

Andreas Melbostad

DIESEL

2020 - 継続中または終了年不明

グレン・マーティンス

クリエイティブ・ディレクター

グレン・マーティンスについて

ベルギー出身のファッションデザイナー/クリエイティブ・ディレクター(Diesel、Maison Margiela兼務)

ベルギー出身のファッションデザイナーでクリエイティブ・ディレクター。パリとミラノを拠点にコレクション制作とブランド再編を手掛ける人物。インテリアデザインの学士を経てアントワープ王立美術学院でファッションを学び、卒業直後にジャン=ポール・ゴルチエのアトリエに参加してプロのキャリアを開始。Y/Projectでは解体と再構築を軸にした実験的なシルエットで国際的評価を高め、ANDAM大賞などの受賞歴を持つ。2020年にDieselのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されブランドの若年層取り込みに貢献し、2025年にMaison Margielaのクリエイティブ・ディレクターに就任してオートクチュールとプロダクト両面で活動を続ける。

Glenn Martens

2013 - 2017

Nicola Formichetti

アーティスティック・ディレクター

Nicola Formichettiについて

イタリア系日本人のクリエイティブディレクター・デザイナー・スタイリスト(国際活動)。

クリエイティブディレクター/デザイナー/スタイリスト。イタリア系日本人として国際的に活動し、主要拠点をニューヨーク/ロサンゼルスに置く。 1977年に東京で生まれ、ローマのインターナショナルスクールSt. Stephen's Schoolで学んだ後、若年期にロンドンへ渡って建築を学ぶために入学したがファッションの現場に転じてキャリアを開始。 編集者としてDazed + ConfusedやVogue Hommes Japanなどで頭角を現し、2009年以降はレディー・ガガのファッションディレクター/スタイリストとして国際的注目を集め、2010年の「ミートドレス」など象徴的ルックに関与。 2010年にMUGLERのクリエイティブディレクターに就任(2010–2013)、2013年にDieselの初代アーティスティックディレクターに就任(2013–2017)、並行して自身のストリートウェアブランドNICOPANDAを立ち上げるなど多面的に活動。 近年はデジタルファッションやビューティ領域にも進出し、SYKYのアーティスティックディレクター就任や、2025年にM·A·C Cosmeticsのグローバルクリエイティブディレクターに就任するなど領域を拡張。 ポップカルチャー、デジタル表現、ストリートとハイファッションを横断する視覚重視の演出が特徴。

ニコラ・フォルミケッティ

2010 - 2012

ブルーノ・コラン

アーティスティック・ディレクター

ブルーノ・コランについて

モードジャーナリスト・編集者/WAD創刊者、元DIESELアーティスティック・ディレクター

フランス出身のモードジャーナリスト兼編集者。WAD(We Are Different)の共同創刊者として都市文化とストリート/デニム領域を軸に編集・キュレーションを行う。業界誌や女性誌での執筆を経て成長し、1994〜1998年に『Sportswear International』フランス版の編集長を務めた経歴を持つ。1999年にWADを立ち上げ、同誌の編集・ビジュアル構成を軸に国際的なトレンド発信を推進したほか、Colors関連の書籍制作やKarl Lagerfeldらのポートレイト制作にも関与した。2010年1月にDIESELのアーティスティック・ディレクターに就任し、プロダクトコミュニケーションや店頭ビジュアル、空間デザインを含むブランド全体のアートディレクション体制の構築を指揮したが、2011年末に任を終え編集・ネットワーク活動へ回帰した。編集を軸にブランド表現と商業設計をつなぐ立ち位置をとる人物である。

Bruno Collin

1993 - 2009

ウィルバート・ダス

クリエイティブ・ディレクター

ウィルバート・ダスについて

オランダ出身のファッションデザイナー/元Dieselクリエイティブ・ディレクター、トランコーソ拠点

オランダ出身のファッションデザイナー。1963年12月2日生まれ。アーネムの美術アカデミーでファッションを学んだ後、1988年にイタリアのブランドDieselに入社し、1993年から同社のクリエイティブ・ディレクターを務めた。Diesel在任中はデニムを基軸に、フットウェア、アイウェア、ジュエリー、ウォッチ、フレグランスなどのプロダクト拡張と、広告キャンペーンや店舗演出を統括してブランドのライフスタイル化を推進した。2009年にDieselを離れ、ブラジル・バイーア州トランコーソでUXUA Casa Hotel & Spaを立ち上げ、地元職人や先住民パタショーとの協働を通じてリサイクル素材や伝統技術を取り入れた家具・インテリア、宿泊空間のデザインおよびプロダクト展開を行っている。

Wilbert Das

1978 - 1985

アドリアーノ・ゴールドシュミット

デザイナー

アドリアーノ・ゴールドシュミットについて

イタリア出身のデニムデザイナー/ブランド創業者、素材開発と加工技術のリーダー(ロサンゼルス・ミラノ拠点)。

イタリア出身のデニムデザイナーでブランド創業者。トリエステ生まれ、ロサンゼルスとミラノを拠点に活動し、プレミアムデニムの設計・洗い加工・素材開発を専門とする。1970年代にコルティナ・ダンペッツォで店舗を開き、1974年にDaily Blueを立ち上げて以降、デニムを高級ファッションへと転換した功績により「ゴッドファーザー・オブ・デニム」と称される。モルテックス/Geniusグループを通じて若手を育成し、Renzo RossoらとともにDieselの初期展開に関与し、ReplayやGap 1969、Agoldeなど複数のブランド形成にも携わった。洗い加工では人手によるサンディングや薬剤処理、トーチを用いた風合い作りを実践し、仕上げのディテールとフィットを重視するスタイルが特徴。米国では自らの洗い場(Laundry Atelier)を設け、加工とフィッティングの研究で業界の洗い技術を進化させた。近年はHouse of Goldを再始動し、Rajby Textilesとの提携やMaviとのコラボレーションを通じてサステナブルな素材の実用化に注力する。

Adriano Goldschmied

人物から探す

関わりから探す

ブランドから探す