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Nicola Formichetti

ニコラ・フォルミケッティ

日本 1977 現在

イタリア系日本人のクリエイティブディレクター・デザイナー・スタイリスト(国際活動)。

最終更新日: 2026.03.30

Nicola Formichettiについて

クリエイティブディレクター/デザイナー/スタイリスト。イタリア系日本人として国際的に活動し、主要拠点をニューヨーク/ロサンゼルスに置く。 1977年に東京で生まれ、ローマのインターナショナルスクールSt. Stephen's Schoolで学んだ後、若年期にロンドンへ渡って建築を学ぶために入学したがファッションの現場に転じてキャリアを開始。 編集者としてDazed + ConfusedやVogue Hommes Japanなどで頭角を現し、2009年以降はレディー・ガガのファッションディレクター/スタイリストとして国際的注目を集め、2010年の「ミートドレス」など象徴的ルックに関与。 2010年にMUGLERのクリエイティブディレクターに就任(2010–2013)、2013年にDieselの初代アーティスティックディレクターに就任(2013–2017)、並行して自身のストリートウェアブランドNICOPANDAを立ち上げるなど多面的に活動。 近年はデジタルファッションやビューティ領域にも進出し、SYKYのアーティスティックディレクター就任や、2025年にM·A·C Cosmeticsのグローバルクリエイティブディレクターに就任するなど領域を拡張。 ポップカルチャー、デジタル表現、ストリートとハイファッションを横断する視覚重視の演出が特徴。

キャリアタイムライン

Nicola Formichettiとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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Mugler クリエイティブ・ディレクター 2010 - 2013
NICOPANDA デザイナー 2011 - 継続中または終了年不明
DIESEL アーティスティック・ディレクター 2013 - 2017

経歴

ローマのインターナショナルスクールSt. Stephen's Schoolで寄宿教育を受けた後、進学を機にロンドンへ渡り建築を学ぶために入学したが、在学中にロンドンのファッション現場へ進出して編集・スタイリングの道へ転じた。正式なファッション学位は確認できない。
ロンドンでのブティック勤務を出発点に雑誌編集へ移行し、Dazed + Confusedでファッションエディターを務めたのちクリエイティブディレクターに昇格。V、V Man、AnOtherなどでも活動し、Vogue Hommes Japanの編集役職を含む編集/ディレクション業務で名を上げる。 2009年にレディー・ガガのスタイリング/ファッションディレクションを本格化させ、ミュージックビデオやツアー、レッドカーペットの演出を長年担当。2010年のムーブメントとなった“ミートドレス”への関与はその象徴的実例。 2010年にMUGLERのクリエイティブディレクターに就任してコレクション制作を主導(2010–2013)、2013年にDieselの初代アーティスティックディレクターに就任してブランド再編やデジタル中心のコミュニティ施策(#DIESELREBOOTなど)を推進、在任期間は概ね2013–2017。並行して自身のブランドNICOPANDAを立ち上げ、2011年のソーホーポップアップなどで展開。 近年はデジタルファッションやビューティ領域へ活動を拡張し、SYKYのアーティスティックディレクター就任(2024)やHaus of Gaga/Haus Labsとの継続的な協働を経て、2025年にM·A·C Cosmeticsのグローバルクリエイティブディレクターに就任。受賞歴として2010年のIsabella Blow Award(Fashion Creator)受賞がある。

DIESELとの関わり

2013 - 2017

アーティスティック・ディレクター

Dieselにおけるアーティスティック・ディレクターとして、2013年春に新設ポジションで就任してから2017年末までブランド全体のクリエイティブ戦略(プロダクト、コミュニケーション、マーケティング、店舗空間を含む)を横断的に監督した。既存のクリエイティブ体制と協働しつつ、ディーゼルのアーカイブとデニムのヘリテージを掘り起こしてモダンに再編集することを中心に活動した。具体的には、アーカイブを基に45点で構成したカプセル「#DIESELTRIBUTE」の企画・発表、Tumblrを起点に世界中のクリエイターやファンを巻き込む参加型プログラム「#DIESELREBOOT」の導入、短尺映像やモバイル撮影を多用したデジタル中心のキャンペーン運用を導入した。プロダクト表現ではJOGG JEANSを題材にしたダンス映像やAzealia Banksを音源に起用した映像キャンペーンなどで機能性とカルチャーを結びつけ、イネス&ヴィノードらによるビジュアル制作や非伝統的キャスティング(“モダンな反逆者”の採用)でブランドの見え方を刷新した。ヴェネツィアでのデビューショーや東京での大型イベント、ガレリア・ラファイエットでの展示を含むポップアップやアーカイブ展示を併走させてブランドの物語化を推進し、契約満了に伴い2017年12月に離任した。

在任期

2013年4月にRenzo Rossoが新設したアーティスティック・ディレクターに任命され、Muglerからの移行後にブランドの総合的な表現を託される形で役割を開始した。就任時はCEO交代など経営体制の変動と並行する移行期で、既存のデザインチームと共同しながらデジタル中心のキャンペーンやアーカイブ活用を進めた。契約満了により2017年12月に離任した。

影響

クリエイティブ面での主な影響は、コレクションとコミュニケーションの間に通奏低音的な一貫性(fil rouge)を導入した点と、デジタル参加型の表現手法を定着させた点にある。#DIESELTRIBUTEや#DIESELREBOOTを軸にアーカイブを再解釈し、ソーシャルと短尺映像を活用したキャンペーンや大型イベントで若年層の注目を喚起してブランドの物語化を強めた。

NICOPANDAとの関わり

2011 - 継続中または終了年不明

デザイナー

創業者兼デザイナーとしてNICOPANDAのクリエイティブ全体を統括。個人のニックネーム「Nico Panda」をブランド名に転換し、自身のビジュアルとポップカルチャー志向を核にしたジェンダーレスなストリートウェアとアクセサリーを中心にブランド表現を形成。コレクションのテーマ設定、シルエット設計、プリントやアクセサリー(リング、スマホスキン等)のプロダクト企画、ビジュアルディレクション、ポップアップ空間の演出、リテールや外部ブランドとのカプセルコラボ監修まで幅広く関与。2011年のニューヨーク・トライベッカでのポップアップでラインを初披露し、その後香港・北京・東京でのポップアップ展開や小売連携を経て段階的に事業化。公式表記上は2015年のローンチ記載も見られるため、初期の導入から公式ローンチに至るまで段階的な立ち上げ・再編の経緯を持つ。セレブリティの着用やSNSでのビジュアル拡散を活用し、ハイコンセプトな演出と商業的なコラボレーションを接続するブランドポジショニングを築く。

在任期

2011年にニューヨーク・トライベッカでのポップアップでNICOPANDAを初披露したことが確認され、その後のポップアップや小売展開を通じてブランドを育成。ブランド公式では2015年をローンチ年とする記述も存在するため、初期の2011年の導入と2015年以降の正式展開が並存する形での在任・関与の継続という整理が適切。現在も創業者として関与している記述が中心となる。

影響

NICOPANDAを通じて示された主な影響は、ジェンダーレスでポップなストリート志向を明確化した点と、ポップアップや小売コラボを媒介に若年層/SNS世代への浸透を図った点にある。限定カプセルやリテール提携(アーバンアウトフィッターズ等)といった商業展開により、ニコラの舞台的・演出的な美学をプロダクト領域へ転換し、ブランド認知と国際的露出を拡大する役割を果たした。

Muglerとの関わり

2010 - 2013

クリエイティブ・ディレクター

Muglerのクリエイティブ・ディレクターとして2010年9月に就任し、メンズとウィメンズ両部門のクリエイティブ統括を担当。ブランドの彫刻的なシルエットや劇場性といった伝統的コードを受け継ぎつつ、ビジュアル表現とコミュニケーションを現代化する方向でポジショニングを刷新した。就任後は既存の制作体制に若手デザイナーを据えて協働する体制を採り、コレクション構築とショー演出、ブランドイメージの再編を横断的に監督した。コレクションでは構築的なウエストラインや鋭いテーラリングを保持しながらポップカルチャー的モチーフや映像・音楽との連動を取り入れ、メンズラインの本格導入といった商品領域の拡張も進めた。ショー演出ではレディー・ガガらセレブリティを起用するなど話題性を重視し、デジタル世代へ向けた可視化を強めた点が特徴。2013年4月にクリエイティブ面での協働終了が発表され、その後のブランド戦略移行期を経て次の体制へバトンタッチした。

在任期

2010年9月にクリエイティブ・ディレクターとして就任し、メンズとウィメンズ双方のコレクション制作とブランドコミュニケーションを横断的に監督。就任直後から2011年にかけて複数シーズンのコレクションを発表し、メンズライン導入やショー演出の刷新を進めた。2013年4月に退任が発表され、在任期間は約2年半におよんだ。

影響

在任期間中はセレブリティ起用とソーシャル/ビジュアル重視のコミュニケーションでブランドの注目度と若年層からの関心を回復させ、メンズコレクションの定着など商品レンジの拡大に寄与した。一方でコレクションに対する評価は賛否両論であったと報じられ、商業的な勢いの回復と編集的批評の分離が並存する時期となった。退任は双方合意の形で伝えられた。

関連ブランド

在任中のコラボレーション

2017.08

NICOPANDA Hanes

NICOPANDA×HanesのコラボはNordstromのPop-In@Nordstromで展開。限定Tシャツデザインを提供し、8月18日ローンチ・9月24日までの展開期間を設定した協業。

2016.12

NICOPANDA EASTPAK

Eastpak×Nicopandaのカプセル企画。定番のPadded Pak’rをNicopanda流にカスタムし、Designers Against AIDSへ寄付するオークション出品として公開・販売された事例。

関連する人物

DIESEL

2020 - 継続中または終了年不明

グレン・マーティンス

クリエイティブ・ディレクター

グレン・マーティンスについて

ベルギー出身のファッションデザイナー/クリエイティブ・ディレクター(Diesel、Maison Margiela兼務)

ベルギー出身のファッションデザイナーでクリエイティブ・ディレクター。パリとミラノを拠点にコレクション制作とブランド再編を手掛ける人物。インテリアデザインの学士を経てアントワープ王立美術学院でファッションを学び、卒業直後にジャン=ポール・ゴルチエのアトリエに参加してプロのキャリアを開始。Y/Projectでは解体と再構築を軸にした実験的なシルエットで国際的評価を高め、ANDAM大賞などの受賞歴を持つ。2020年にDieselのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されブランドの若年層取り込みに貢献し、2025年にMaison Margielaのクリエイティブ・ディレクターに就任してオートクチュールとプロダクト両面で活動を続ける。

Glenn Martens

2010 - 2012

ブルーノ・コラン

アーティスティック・ディレクター

ブルーノ・コランについて

モードジャーナリスト・編集者/WAD創刊者、元DIESELアーティスティック・ディレクター

フランス出身のモードジャーナリスト兼編集者。WAD(We Are Different)の共同創刊者として都市文化とストリート/デニム領域を軸に編集・キュレーションを行う。業界誌や女性誌での執筆を経て成長し、1994〜1998年に『Sportswear International』フランス版の編集長を務めた経歴を持つ。1999年にWADを立ち上げ、同誌の編集・ビジュアル構成を軸に国際的なトレンド発信を推進したほか、Colors関連の書籍制作やKarl Lagerfeldらのポートレイト制作にも関与した。2010年1月にDIESELのアーティスティック・ディレクターに就任し、プロダクトコミュニケーションや店頭ビジュアル、空間デザインを含むブランド全体のアートディレクション体制の構築を指揮したが、2011年末に任を終え編集・ネットワーク活動へ回帰した。編集を軸にブランド表現と商業設計をつなぐ立ち位置をとる人物である。

Bruno Collin

1993 - 2009

ウィルバート・ダス

クリエイティブ・ディレクター

ウィルバート・ダスについて

オランダ出身のファッションデザイナー/元Dieselクリエイティブ・ディレクター、トランコーソ拠点

オランダ出身のファッションデザイナー。1963年12月2日生まれ。アーネムの美術アカデミーでファッションを学んだ後、1988年にイタリアのブランドDieselに入社し、1993年から同社のクリエイティブ・ディレクターを務めた。Diesel在任中はデニムを基軸に、フットウェア、アイウェア、ジュエリー、ウォッチ、フレグランスなどのプロダクト拡張と、広告キャンペーンや店舗演出を統括してブランドのライフスタイル化を推進した。2009年にDieselを離れ、ブラジル・バイーア州トランコーソでUXUA Casa Hotel & Spaを立ち上げ、地元職人や先住民パタショーとの協働を通じてリサイクル素材や伝統技術を取り入れた家具・インテリア、宿泊空間のデザインおよびプロダクト展開を行っている。

Wilbert Das

1978 - 1985

アドリアーノ・ゴールドシュミット

デザイナー

アドリアーノ・ゴールドシュミットについて

イタリア出身のデニムデザイナー/ブランド創業者、素材開発と加工技術のリーダー(ロサンゼルス・ミラノ拠点)。

イタリア出身のデニムデザイナーでブランド創業者。トリエステ生まれ、ロサンゼルスとミラノを拠点に活動し、プレミアムデニムの設計・洗い加工・素材開発を専門とする。1970年代にコルティナ・ダンペッツォで店舗を開き、1974年にDaily Blueを立ち上げて以降、デニムを高級ファッションへと転換した功績により「ゴッドファーザー・オブ・デニム」と称される。モルテックス/Geniusグループを通じて若手を育成し、Renzo RossoらとともにDieselの初期展開に関与し、ReplayやGap 1969、Agoldeなど複数のブランド形成にも携わった。洗い加工では人手によるサンディングや薬剤処理、トーチを用いた風合い作りを実践し、仕上げのディテールとフィットを重視するスタイルが特徴。米国では自らの洗い場(Laundry Atelier)を設け、加工とフィッティングの研究で業界の洗い技術を進化させた。近年はHouse of Goldを再始動し、Rajby Textilesとの提携やMaviとのコラボレーションを通じてサステナブルな素材の実用化に注力する。

Adriano Goldschmied

Mugler

2017 - 2025

ケイシー・キャドウォラダー

クリエイティブ・ディレクター

ケイシー・キャドウォラダーについて

アメリカ出身のファッションデザイナー、パリ拠点。Muglerの元クリエイティブ・ディレクター

アメリカ出身のファッションデザイナー、パリ拠点のクリエイティブ・ディレクター。コーネル大学で建築を学び、在学中にマーク・ジェイコブスのサマーインターンを経験した経歴を持つ。建築的な構造理解を背景に、彫刻的でボディコンシャスなシルエットやコルセット、ボディスーツを中心としたプロダクトを得意とする。卒業後は建築事務所で店舗設計に携わった後、リチャード・チャイやナルシソ・ロドリゲス、ロエベ、アクネ・スタジオなどのデザインスタジオで実務経験を積んだ。2017年12月にMuglerのクリエイティブ・ディレクターに任命され、2018年から同ブランドを率いて現代的な身体観とアーカイブを融合させるコレクションを発表。映像を用いたプレゼンテーションや包摂的なキャスティングを積極的に採用し、ビヨンセやベラ・ハディッド、ドゥア・リパ、カーディ・B、ミーガン・ジー・スタリオンら多数の著名人に着用される機会を生んだ。2025年3月にMuglerを退任、後任にミゲル・カストロ・フレイタスが就任した。

Casey Cadwallader

Diesel Black Gold

2012 - 継続中または終了年不明

アンドレアス・メルボスタッド

クリエイティブ・ディレクター

アンドレアス・メルボスタッドについて

ファッション・クリエイティブディレクター/デザイナー(ノルウェー出身、ニューヨーク拠点)

ノルウェー出身のファッション・クリエイティブディレクター。オスロ生まれで拠点はニューヨーク。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでウィメンズウェアの修士号を取得後、パリとニューヨークのメゾンで実務経験を重ね、国際的なブランドのコレクション統括とイメージ戦略を担うようになる。PHIでクリエイティブ・ディレクターを務め、後にDiesel Black Goldのデザインとグローバルイメージの統括を任され、テーラリング、デニム、レザー、ニット、アウター、アクセサリーなど幅広いプロダクト群の開発を牽引。近年は自身の名義でシーズンレスかつサステナブルなユニセックス・コレクションを発表し、プロダクト設計からサプライチェーン改善までを含むコンサルティング業務も継続。プロポーションの操作と機能性を重視したミニマルでユーティリタリアンな美学を特徴。ランウェイ、キャンペーン、ビジュアルアイデンティティの構築にも深く関与し、コレクション表現と商業性の橋渡しを行う。キャリアは20年以上に及び、素材と生産品質への拘りを持ってブランド戦略を推進する。

Andreas Melbostad

2009 - 2012

ソフィア・ココサラキ

クリエイティブ・ディレクター

ソフィア・ココサラキについて

ギリシャ出身、ロンドン拠点のファッションデザイナー/ブランド創設者・元Vionnetクリエイティブディレクター。

ギリシャ出身でロンドンを拠点に活動したファッションデザイナー。アテネ大学でギリシャ語・英文学を学んだ後にロンドンのセントラル・セント・マーチンズでウィメンズウェアの修士号を取得し、1999年に自身のブランドを立ち上げた。古代ギリシャやミノア芸術に由来するドレープや精緻なプリーツ、ジャージーやレザーの質感を組み合わせたフェミニンかつ構築的な服作りを特徴とし、レッドカーペットや舞台衣装でも広く着用された。2004年アテネ五輪の開閉会式衣装を手掛け、2006年にヴィオネのクリエイティブ・ディレクターを務めたほか、2009~2012年はDiesel Black Goldのクリエイティブを務めるなどブランド活動と多様なコラボレーションを行った。晩年はブライダルやジュエリー、Asos向けラインなどを中心に制作を続け、2019年10月13日にロンドンで逝去した。

Sophia Kokosalaki

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