szu

エディ・スリマン

Hedi Slimane

フランス 1968 現在

ファッションデザイナー・写真家。複数の主要メゾンでクリエイティブディレクターを歴任し、国際的な影響力を持つ。

最終更新日: 2026.04.02

エディ・スリマンについて

ヘディ・スリマンはフランス出身のファッションデザイナー兼写真家で、1968年7月5日パリ生まれ。エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学んだ後にファッション業界へ入り、メンズウェアのシルエットを再定義したことで国際的に知られる。特にディオール・オム期に確立した細身でアンドロジナスな“スキニー”シルエットは21世紀初頭の男性ファッションに大きな影響を与えた。デザインと並行してモノクロ写真を中心に写真集や展覧会を多数発表し、ロックや若者文化を反映したビジュアル表現でも注目を集める。主要メゾンでのクリエイティブ就任やブランド再編を通じて商業的な成功と論争を併せ持つキャリアを築いてきた。

キャリアタイムライン

エディ・スリマンとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

左右にスクロールして確認

ブランド / 役職
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
Yves Saint Laurent アーティスティック・ディレクター 1996 - 2000
Dior Homme クリエイティブ・ディレクター 2000 - 2007
Saint Laurent クリエイティブ・ディレクター 2012 - 2016
CELINE アーティスティック・ディレクター 2018 - 2024

経歴

エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学び、1992年に学位を取得したとされる。服飾の正規のデザイン学位は持たないが、メンズ服の仕立てに関する見習い経験や若年期からの写真技術の修得を通じて、編集的かつ視覚的な表現力を磨いた。美術史と写真の素地がコレクション構成やビジュアル演出に深く影響を与えている。
初期はファッションコンサルタントの下で活動し、1996年にピエール・ベルジェによりイヴ・サンローランのメンズ部門に迎えられてキャリアを本格化させた。2000年の“Black Tie”で提示した細身のスキニーシルエットにより注目を集め、2000年から2007年にはクリスチャン・ディオールのメンズライン(ディオール・オム)を率いてブランド表現を大きく変えた。2002年には国際的なデザイナー賞を受賞し、2007年に一度ディオールを離れてロサンゼルスで写真活動に専念した。2012年にサンローランのクリエイティブディレクターとして復帰してブランドのイメージ刷新を行い(2012–2016)、2018年にはセリーヌのアーティスティック・ディレクターに就任してメンズやビューティラインの拡充などを進めたが、2024年10月に退任した。デザイナーとしての裁断・構築と、写真家としての視覚言語を併走させる独自の実践で現代ファッションに継続的な影響を与えている。

CELINEとの関わり

2018 - 2024

アーティスティック・ディレクター

Hedi Slimaneは2018年1月にLVMH傘下のセリーヌのアーティスティック、クリエイティブ、イメージ・ディレクターに指名され、2018年2月から全コレクションのクリエイティブ責任を担いました。 着任後はブランドの視覚言語と商品設計を徹底的に再編し、公式アカウントを一旦消して新ロゴを発表するなど名称表記からアクセントを外す大胆な刷新を行いました。 2018年9月のデビューショー以降は自ら写真・映像を手掛けるビジュアルでキャンペーンを統一し、スリムでロックを基調とする美学を前面に打ち出して賛否を呼びました。 商品面ではメンズラインの正式導入、アトリエ機能の強化、香水やビューティーなど新カテゴリの投入を推進し、バッグや店舗設計の見直しを含むリテール面まで横断的に手を入れました。 彼のデザイン言語とイメージ戦略は若年層やセレブリティにも訴求し、ブランドの可視性を高める一方で従来の顧客層との緊張も生み出しました。最終的にこうした取り組みはセリーヌの表現と市場ポジションに長期的な変化を及ぼし、2024年秋の退任までその影響は継続しました。

在任期

在任期間は2018年1月21日にLVMHが起用を発表し、Hedi Slimaneは2018年2月からセリーヌのアーティスティック、クリエイティブ、イメージ・ディレクターとして全コレクションを統括しました。 およそ7年間の在任は前任のフィービー・フィロ時代からの転換期に相当し、Slimaneはブランドの商業的拡大と視覚統制を優先して取り組みました。退任の発表は2024年10月2日に行われました。

影響

Slimaneの在任でセリーヌは視覚的アイデンティティの一新と商品カテゴリの拡張を同時に遂げました。 ロゴ表記の簡素化と統一されたビジュアル表現はブランドイメージを再定義し、メンズの正式導入や香水・ビューティー分野への参入でラインナップが広がりました。 これに伴い外部推計では売上が拡大し、2023年には約26億ユーロに達したと報じられています。

Saint Laurentとの関わり

2012 - 2016

クリエイティブ・ディレクター

エディ・スリマンは2012年3月7日にメゾン・イヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ブランドイメージとコレクション全体の責任を担いました。 在任中、彼はレディ・トゥ・ウェア表記から“Yves”を外して『Saint Laurent Paris』へとブランド名を改める大胆なリブランディングを行い、パッケージングやロゴの扱いを含むブランド表現を大きく変えました。 また制作拠点をパリからロサンゼルスへ移し、自身の写真表現やロック的な美学、細身のシルエットをコレクションとヴィジュアルの中心に据えることで、広告キャンペーン撮影やフラッグシップの改装などを通じて店舗・広告を含むブランド体験を一貫して再構築しました。 さらに2015年には長年休止していたオートクチュール部門を復活させ、限定的なハンドメイド作品を発表するなどメゾンの伝統要素も再編しました。 こうした施策は賛否を呼びながらブランドの位置付けを若年層とセレブリティ文化に強く訴求する方向へ転換させ、2016年4月1日に「四年間のミッションの終了」として在任を終えました。

在任期

エディ・スリマンは2012年3月7日にイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)のクリエイティブ・ディレクターに任命され、2016年4月1日に同職を離れるまで在任しました。 在任期間中はレディ・トゥ・ウェアのブランド表記変更、制作拠点の移転、コレクションの美学再定義などを短期間で実施し、メゾンの商業的・ヴィジュアル両面の再定位を推進しました。

影響

スリマンの在任はブランドのアイデンティティと事業戦略に明確な痕跡を残しました。代表的な変化は、ブランド名の簡略化と新しいビジュアル言語への転換、制作拠点のロサンゼルス移転による欧米文化の再解釈、さらに2015年のオートクチュール復活といった伝統要素の再導入です。 これらは賛否を呼んだ一方でブランドの世代的リポジショニングを加速させ、以降のプロダクト構成やコミュニケーションに長期的な影響を与えました。

Dior Hommeとの関わり

2000 - 2007

クリエイティブ・ディレクター

ヘディ・スリマンは2000年にDiorのメンズライン、Dior Hommeのクリエイティブ・ディレクターに就任して以降、ブランドの美学とプロポーションを根本から書き換えた。ジャケットの肩幅や胴回りを絞り込んだシャープなテーラリング、腰位置の低い細身のパンツ、細いネクタイといった“スリム”な比率を徹底させることで、従来のメンズラグジュアリーに替わるアンドロジナスで都会的な男性像をDior Hommeの核に据えた。ショーやキャンペーンではミュージシャンやスケーターなどロック/サブカルチャーに近い若者を多く起用し、ランウェイをステージの延長のように演出して衣服とカルチャーを結び付ける表現を採った。さらにフォトグラファーとしての視点を活かし、ルックやヴィジュアルを統一することで単なる服づくりにとどまらない“イメージごとの再構築”を行い、Dior Hommeを2000年代のメンズファッションを象徴する存在へと押し上げた。

在任期

ヘディ・スリマンは2000年にDior Hommeのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ブランドのメンズラインを主導した。在任中はDior Hommeのシグネチャーとなるスリムなプロポーションと強いヴィジュアルを確立した。退任は2007年に発表され、その後クリス・ヴァン・アッシュが後任を務めた。

影響

スリマンのDior Hommeでの美学は、極端に細いシルエットとロック寄りの演出を通じて2000年代のメンズファッションの基準を塗り替えた。多くのラグジュアリーやハイストリートブランドが同様の比率を採用し、当時の男性像やショップのヴィジュアル表現にも広く波及した。一方でモデルの過度な細さを巡る批判や倫理的な議論を呼んだ点も、彼の功績とセットで語られる特徴である。

Yves Saint Laurentとの関わり

1996 - 2000

アーティスティック・ディレクター

ヘディ・スリマーンは1996年にピエール・ベルジェに迎えられ、イヴ・サンローランのメンズ・レディトゥウェア部門のディレクターとして着任し、ほどなくしてメンズ部門のアーティスティック・ディレクターを務めました。在任中はメンズの裁断やプロポーション、シルエットの再定義を中心に据え、伝統的なテーラリングを踏まえつつ極端に細身の“スキニー”志向を導入することで、ブランドのメンズ像を刷新しました。とくに2000年秋冬の「Black Tie」コレクションでその比率と美学が明確に示され、以後のミレニアム期におけるメンズ・シルエットに大きな影響を与えました。スリマーンは写真や音楽への関心をデザイン表現やショー演出に持ち込み、ビジュアルとカルチャーを横断する手法で若い世代やロック系の志向を取り込んだ点も特徴です。短期間の在任ながら、YSLのメンズ部門に新しい審美眼と鮮烈なシルエットを植え付け、2000年の退任後にディオール・オムでその美学がさらに展開されていきました。

在任期

1996年にピエール・ベルジェの招聘でイヴ・サンローランに参加し、メンズ・レディトゥウェアのディレクターとして開始、まもなくメンズ部門のアーティスティック・ディレクターとして活動しました。在任は1996年から2000年までの短期間で、2000年秋冬の「Black Tie」コレクションを区切りにYSLを退き、同年ディオール・オムのメンズ・クリエイティブディレクターに転じました。

影響

YSLでの最も明確な影響は、メンズ・シルエットの細身化とアンドロジナスな美意識の導入です。「Black Tie」で示された“スキニー”の比率は2000年代のメンズ・ファッションの潮流に大きな影響を与え、多くのデザイナーやカルチャーに波及しました。また、カットとプロポーションに対する厳密なアプローチはYSLのメンズ表現を現代化し、その後の彼のキャリアを通じて継続的に参照されるスタイルの基盤となりました。

関連ブランド

関連する人物

Dior Homme

2007 - 2018

クリス・ヴァン・アッシュ

アーティスティック・ディレクター

クリス・ヴァン・アッシュについて

ベルギー出身のメンズウェアデザイナー/元Dior Homme・元Berlutiアートディレクター、パリ拠点。

ベルギー出身のメンズウェアデザイナー。パリを拠点に活動し、アーティスティック・ディレクターや自身のブランドでの創作を通じてモダンな仕立てと都市的なミニマリズムを軸に作品を展開する。アントワープ王立美術アカデミーでファッションを学び、卒業後パリに移ってイヴ・サンローランでヘディ・スリマンのアシスタントを務め、のちにディオールのメンズラインの立ち上げに参加した。2005年に自らのブランドKRISVANASSCHEを立ち上げ、2013年にパリにブティックを開店したが、2015年に活動を一時休止した。2007年から2018年までディオール・オムのアーティスティック・ディレクターを務め、伝統的な仕立てに現代的なカットやストリートの要素を組み合わせたシルエットを提示し、A$AP RockyやOliver Simらをアンバサダーに起用した。2018年にベルルッティのクリエイティブディレクターに就任、2019年にデビューコレクションを発表したのち2021年に退任。レザーや靴、家具修復を含む工房仕事やアートプロジェクトとの連携も行い、現在は教育やコラボレーションを中心に多面的に活動する。

Kris Van Assche

Yves Saint Laurent

1961 - 2002

イヴ・サン・ローラン

デザイナー

イヴ・サン・ローランについて

フランスのファッションデザイナー。メゾン創業者であり、若くしてディオールの後継を務めた。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent、1936年8月1日—2008年6月1日)は、20世紀後半のファッションを象徴するフランスのデザイナーです。アルジェリアのオランで生まれ、若くしてパリに出てクリスチャン・ディオールのアトリエで修業し、1957年に21歳でディオールの後継となりました。1961年にピエール・ベルジェとともに自身のメゾンを創設し、左岸発のプレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」を打ち出してハイファッションの大衆化を推進しました。女性のパンツスタイルや女性用タキシード「ル・スモーキング」など、性別の境界を揺るがすアイコニックなデザインで知られ、香水やメンズラインの展開、国際的な回顧展などを通じて広く影響を及ぼしました。私生活では精神的な苦悩や依存の時期もあったものの、退任後も作品と美学は現代に残り、パリやマラケシュでの博物館公開を通じて遺産が保存されています。

Yves Saint Laurent

Dior

2025 - 継続中または終了年不明

ジョナサン・アンダーソン

クリエイティブ・ディレクター

ジョナサン・アンダーソンについて

ファッションデザイナー/JW Anderson創設者。2025年よりクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクター。

ジョナサン・アンダーソン(Jonathan William Anderson、1984年9月17日生まれ)は北アイルランド出身のファッションデザイナーです。2008年に自身のブランド「JW Anderson」を設立し、メンズとウィメンズの境界を問い直すジェンダー流動的なシルエットと、素材や職人技を重視する美学で国際的に知られています。2013年から2025年までロエベのクリエイティブディレクターを務め、パズルバッグなどのヒット作やクラフト支援プログラムを通じてブランドを再定義しました。2025年にはクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクターに就任し、メンズ・ウィメンズ・オートクチュールを横断して創作を統括しています。出身地マガハーフェルトでの育ちや家族背景が創作に影響を与えていること、また高級ブランド運営と日常向けコラボレーションを両立させる点でも知られています。

Jonathan Anderson

2018 - 2025

キム・ジョーンズ

アーティスティック・ディレクター

キム・ジョーンズについて

イギリス出身のファッションデザイナー。元ディオール・メンとフェンディのアーティスティックディレクター

キム・ニクラス・ジョーンズ(Kim Niklas Jones、1973年9月11日生まれ)は、ロンドン出身のイギリス人ファッションデザイナーで、メンズウェアの刷新とメゾン文化の現代化を得意とするクリエイターです。カンバウェルでグラフィックと写真を学び、中央聖マーチンズでメンズウェアを専攻してキャリアを開始。卒業後は自身の名義ブランドを立ち上げ、ダンヒルのクリエイティブディレクターを経てルイ・ヴィトンでメンズの表現を拡張し、2018年からディオール・メンのアーティスティックディレクターを務めました。ストリートカルチャーとラグジュアリーを接続するコラボレーション(例:ルイ・ヴィトン×シュプリーム)や、アーティストとの共同プロジェクト、BTSなどの舞台衣装制作、さらにはディオール・メンでのメンズ・オートクチュール導入など多面的な仕事で注目を集めています。公的な栄典として2020年にOBEを受章し、2025年にはフランスのレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)を受けています。

Kim Jones

2016 - 2025

マリア・グラツィア・キウリ

アーティスティック・ディレクター

マリア・グラツィア・キウリについて

ファッションデザイナー。フェンディ チーフクリエイティブオフィサー(元ディオール ウィメンズ責任者)。

マリア・グラツィア・キウリはイタリア・ローマ出身のファッションデザイナー。1964年2月2日生まれ。ローマのイストゥトゥート・ヨーロッパ・ディ・デザイン(Istituto Europeo di Design)で学んだ後、フェンディでバッグデザインに携わり、1999年にヴァレンティノへ移籍。2008年からはピエルパオロ・ピッチョーリと共同でクリエイティブディレクターを務め、2016年にクリスチャン・ディオールのウィメンズコレクション責任者に就任して同メゾンで初の女性トップデザイナーとなった。ディオール在任中はフェミニズムをテーマにしたコレクションやアーティストとの協働で注目を集め、サドルバッグの復刻や写真集『Her Dior』の刊行を通じて商業的・文化的な影響を残した。2025年にはフェンディへ帰還しチーフクリエイティブオフィサーに就任した。伝統的な職人技と現代的な文化的メッセージを結びつける表現が特徴である。

Maria Grazia Chiuri

2012 - 2015

ラフ・シモンズ

クリエイティブ・ディレクター

ラフ・シモンズについて

ベルギー出身のファッションデザイナー、Prada共同クリエイティブディレクター(アントワープ拠点)

ラフ・シモンズ(Raf Simons)はベルギー出身のファッションデザイナーで、アントワープを拠点にメンズとウィメンズを横断するコレクションを発表する。若者文化や音楽、現代美術を参照したモチーフと精緻な仕立てを組み合わせる表現で国際的に評価されている。工業・家具デザインを学び1991年に卒業、家具デザイナーやウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのアトリエでのインターンを経て1995年に自身のブランドを立ち上げた。以後、教育(ウィーン応用芸術大学のファッション学科長)や主要メゾンでのクリエイティブ職を通じて活動の幅を広げ、Jil Sander、Christian Dior、Calvin Kleinなどでの就任を経て、2020年にMiuccia Pradaと共同でPradaの共同クリエイティブディレクターに就任した。2022年には自身のブランドの閉鎖を発表し、コレクション制作にとどまらない展覧やコラボレーションを通じて現代美学の議論に関与し続けている。

Raf Simons

1996 - 2011

ジョン・ガリアーノ

クリエイティブ・ディレクター

ジョン・ガリアーノについて

ジブラルタル出身の英国ファッションデザイナー。ディオールやメゾン・マルジェラで創作を指揮した。

ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は、ジブラルタル生まれの英国のファッションデザイナーで、歴史的な衣装や綿密なリサーチを基にした演劇的なプレゼンテーションで知られる。セントラル・セント・マーチンズで注目を集めた後、自身のブランドとパリのメゾンで活躍し、1995年にジバンシィ、1996年にクリスチャン・ディオールの創作を任されて国際的な評価を確立した。2009年にレジオン・ドヌールを受章するなど栄誉を得る一方、2011年の差別的発言を巡るスキャンダルでディオールを解任され、裁判で有罪判決を受けるという転機を迎えた。その後は治療と謝罪を経て活動を再開し、2014年にメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに就任、十年近く同ブランドを率いたが、2024年に同職を離れた。復帰と論争を併せ持つ複雑な経歴で、現在もファッション界で大きな注目を集めている。

John Galliano

1989 - 1996

ジャンフランコ・フェレ

アーティスティック・ディレクター

ジャンフランコ・フェレについて

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエット...

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエットを持ち込み、1980〜90年代のメゾンに新たな国際性と重厚なエレガンスを与えた。

Gianfranco Ferré

1960 - 1989

マルク・ボアン

クリエイティブ・ディレクター

マルク・ボアンについて

フランスのオートクチュールデザイナー。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクター(1960–1989)。

マルク・ボアン(Marc Bohan、1926年8月22日 - 2023年9月6日)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを長年務めた人物です。端正で抑制の効いたエレガンスと精緻なテーラリングを信条とし、女性の身体を美しく見せるスリムなシルエットで知られます。1950年代にロベール・ピゲ、エドワール・モリュー、ジャン・パトゥーらのもとで修業し、1958年にディオールのロンドン部門に参加。1960年に本店のクリエイティブディレクターに就任して以降、ベビーラインやメンズラインの立ち上げなどハウスの事業展開にも関わりつつ、グレース・ケリーやエリザベス・テイラー、イラン皇后ファラー・パフラヴィなど国際的な顧客に愛用されました。穏やかな人物像と実用性を重んじる服作りでディオールの伝統を長年支え、1989年の退任後はロンドンで活動を続けました。

Marc Bohan

1957 - 1960

イヴ・サン・ローラン

アーティスティック・ディレクター

イヴ・サン・ローランについて

フランスのファッションデザイナー。メゾン創業者であり、若くしてディオールの後継を務めた。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent、1936年8月1日—2008年6月1日)は、20世紀後半のファッションを象徴するフランスのデザイナーです。アルジェリアのオランで生まれ、若くしてパリに出てクリスチャン・ディオールのアトリエで修業し、1957年に21歳でディオールの後継となりました。1961年にピエール・ベルジェとともに自身のメゾンを創設し、左岸発のプレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」を打ち出してハイファッションの大衆化を推進しました。女性のパンツスタイルや女性用タキシード「ル・スモーキング」など、性別の境界を揺るがすアイコニックなデザインで知られ、香水やメンズラインの展開、国際的な回顧展などを通じて広く影響を及ぼしました。私生活では精神的な苦悩や依存の時期もあったものの、退任後も作品と美学は現代に残り、パリやマラケシュでの博物館公開を通じて遺産が保存されています。

Yves Saint Laurent

1946 - 1957

クリスチャン・ディオール

デザイナー

クリスチャン・ディオールについて

フランスのオートクチュールデザイナー、メゾン・クリスチャン・ディオール創立者で戦後ファッションに革新をもたらした人物。

クリスチャン・ディオール(Christian Dior、1905年1月21日生-1957年10月24日没)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、20世紀半ばの女性服を象徴する存在です。ノルマンディーのグランヴィルで生まれ、パリで政治学を学んだ後に若くして画廊を経営し美術に親しんだ経験が造形感覚を育みました。1946年に実業家の支援を受けてメゾンを設立し、1947年の初コレクション「コロール」(のちに「ニュールック」と呼ばれる)で絞られたウエストと豊かなスカートという新しいシルエットを提示して戦後のファッションを一変させました。香水『ミス・ディオール』の発表などを通じてブランドを国際的に拡大し、1957年に死去するまでメゾンを牽引しました。

Christian Dior

人物から探す

関わりから探す

ブランドから探す