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ジョン・ガリアーノ

John Galliano

イギリス 1960 現在

ジブラルタル出身の英国ファッションデザイナー。ディオールやメゾン・マルジェラで創作を指揮した。

最終更新日: 2026.04.09

ジョン・ガリアーノについて

ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は、ジブラルタル生まれの英国のファッションデザイナーで、歴史的な衣装や綿密なリサーチを基にした演劇的なプレゼンテーションで知られる。セントラル・セント・マーチンズで注目を集めた後、自身のブランドとパリのメゾンで活躍し、1995年にジバンシィ、1996年にクリスチャン・ディオールの創作を任されて国際的な評価を確立した。2009年にレジオン・ドヌールを受章するなど栄誉を得る一方、2011年の差別的発言を巡るスキャンダルでディオールを解任され、裁判で有罪判決を受けるという転機を迎えた。その後は治療と謝罪を経て活動を再開し、2014年にメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに就任、十年近く同ブランドを率いたが、2024年に同職を離れた。復帰と論争を併せ持つ複雑な経歴で、現在もファッション界で大きな注目を集めている。

キャリアタイムライン

ジョン・ガリアーノとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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John Galliano デザイナー 1984 - 2011
Givenchy クリエイティブ・ディレクター 1995 - 1996
Dior クリエイティブ・ディレクター 1996 - 2011
Maison Margiela クリエイティブ・ディレクター 2014 - 2024

経歴

幼少期に家族とともに南ロンドンへ移住し、ウィルソン校などで学んだ後、東ロンドンのカレッジでテキスタイルを学んだ。1980年にセントラル・セント・マーチンズに入学し、1984年に『Les Incroyables』などの卒業コレクションで注目を集め、首席で卒業した。その卒業作はロンドンのブティックに買い上げられている。
1984年の卒業後に自身のスタジオを構え、1980年代後半から英国ファッション界で急速に頭角を現した。事業の再建を経て1995年にジバンシィ、1996年にはルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー傘下でクリスチャン・ディオールのチーフデザイナーに就任し、歴史的モチーフと物語性を軸にした豪華なオートクチュール・ショーでブランドのイメージを刷新した。1987年と1994年の英国デザイナー・オブ・ザ・イヤー受賞や2009年のレジオン・ドヌール受章などを経てトップデザイナーにのし上がったが、2011年のパリでの差別的発言を契機にディオールを解任され、裁判で執行猶予付きの罰金を科されるなど厳しい処遇を受けた。以降はリハビリと謝罪を経て断続的に復帰活動を行い、2014年にメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに迎えられて2015年に復帰コレクションを発表、その後約10年間同ブランドを牽引した。2024年末にマルジェラを離れたことが報じられ、復帰と論争を巡る評価が続いている。

Maison Margielaとの関わり

2014 - 2024

クリエイティブ・ディレクター

ジョン・ガリアーノは2014年にメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに就任し、以降ブランドのクリエイティブ全体、特にArtisanal(オートクチュール)ラインの監督を務めた。就任は2014年10月6日に発表され、彼の初のArtisanalコレクションは2015年1月12日にロンドンで披露された。 在任期間中、ガリアーノはマルジェラの匿名性やデコンストラクションの伝統を尊重しつつ、自身の物語性豊かな演出と精緻なアトリエワークを結びつけることでブランド表現を再編した。衣服の構造や縫製、トワール(仮縫い)に見られる“作り”を前面に出すプレゼンテーションを重視し、モデルへ各ルックの背景やキャラクターを伝えて見せ方を強化する手法を貫いた。こうした演出はArtisanalを単なる展示ではなく技術と物語を示す舞台に変えた。 また、2015年のデビューに合わせてブランド表記がMaison Margielaへと短縮されるなど外向きの見え方にも変化が生じ、ガリアーノはArtisanalの注目度を高める一方で、クリスチャン・ルブタンとのフットウェア協業など大型のコラボレーションや限定品の導入を通じてメディア露出とコレクター需要を喚起した。こうした活動はブランドの商業的ポジショニングや国際展開にも影響を与え、退任は2024年12月に発表されて約10年の在任が幕を閉じた。

在任期

正式な就任発表は2014年10月6日で、ガリアーノは以後Maison Margielaのクリエイティブ全般を統括した。初のArtisanalコレクションは2015年1月12日にロンドンで発表され、これを皮切りにArtisanalを中心とした活動が本格化した。退任は2024年12月に発表され、約10年間の在任となった。

影響

ガリアーノはArtisanalを技術的探求と演出の場に据え、マルジェラのデコンストラクティブな遺産と舞台的な表現を融合させることでブランドの批評的評価と話題性を強化した。こうしたクリエイティブな方向性は商業面にも波及し、OTBグループや業界メディアは在任中の売上増や店舗展開の拡大を指摘しており、2023年には前年から約23%の売上伸長が報告されるなどブランド成長と結びついた。

Diorとの関わり

1996 - 2011

クリエイティブ・ディレクター

ジョン・ガリアーノは1996年10月にルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)によりクリスチャン・ディオールのクリエイティブ・ディレクターに任命され、オートクチュールとレディ・トゥ・ウェアの両部門を統括しました。就任後はディオールのアーカイヴや創業期のコードを参照しつつ、自身の物語性と演劇性を強く打ち出すことでメゾンの表現を再定義しました。舞台的なセット、音楽、メイクを駆使したショー演出によりコレクションは「視覚的なスペクタクル」へと高められ、雑誌・報道・セレブリティの文化的場面で頻繁に取り上げられるようになりました。職人の手仕事や複雑な構築、刺繍などオートクチュールの技巧を重視し、それらをプレタポルテや広告、アクセサリー展開に波及させることでブランドの表現と商業性の両面に影響を与えました。1997年の初コレクション以降はレッドカーペットでの象徴的なドレス(ニコール・キッドマンが1997年のアカデミー賞で着用したチャートリューズのドレス等)も生まれ、メゾンの国際的な注目度は高まりました。一方で、公的な場での不適切発言が問題となり、2011年にディオールとの関係は断たれました。

在任期

在任は1996年10月(LVMHによる任命)から始まり、1997年1月に初のディオール・オートクチュールを発表して以降、約14年間にわたり女性コレクションのクリエイティブを率いました。2011年3月1日、公開された映像を受けてディオールが解雇手続きを開始し、同年に退任しました。

影響

ガリアーノはディオールに対して、オートクチュールのアーカイヴを現代的な語りで蘇生させ、ショーそのものをブランド発信の中心に据えることでディオールの注目度と文化的な存在感を大きく高めました。彼の演劇的なプレゼンテーションはメディア露出とレッドカーペットのハイファッション化を促し、後進のデザイナーやファッション表現にも強い影響を与えました。ただし2011年の不祥事はブランドイメージと本人のキャリアに深刻なダメージを残し、功績と問題を併せ持つ複雑な遺産を残しました。

Givenchyとの関わり

1995 - 1996

クリエイティブ・ディレクター

ジョン・ガリアーノは1995年、ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)グループの判断によりメゾン・ジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任し、創業者ヒューバート・ド・ジバンシィの退任に伴う後任として抜擢されました。就任後はジバンシィの伝統的なエレガンスを尊重しつつ、自身の演劇的で歴史的なリファレンスを大胆に取り入れ、オートクチュールとプレタポルテ双方で独自の解釈を示しました。特に1996年1月21日にスタッド・フランセで披露された1996年春オートクチュールでは、バルーン状のボリューム、リボン装飾、ウエストを強調するベルト使いなど、ロマンティックかつドラマティックな要素を通じてメゾンの表現に新たな層を加えています。LVMHは若年層や新しい顧客層の取り込みを期待してガリアーノを起用し、メディアや業界からはジバンシィに「新たな息吹」をもたらす動きとして注目されました。しかし在任は短く、1996年秋にLVMHの決定でクリスチャン・ディオールへ移籍したため、ジバンシィでの直接的な統括は約一年強にとどまり、その後ジバンシィの責務はアレクサンダー・マックイーンが継承しました。

在任期

ジバンシィでの起用は1995年7月の報道で発表され、創業者の退任に伴う後任としての就任でした。ジバンシィでの初のオートクチュールは1996年1月21日にスタッド・フランセで発表され、その後1996年秋にLVMHの決定でクリスチャン・ディオールへ移籍したため、ジバンシィでの在任は約1年から1年半程度にとどまりました。

影響

短期間の在任ながら、ガリアーノはジバンシィに劇場性やロマンティシズムを持ち込み、プレスや業界の注目を集め、若年層やメディアの関心を呼び込む役割を果たしました。LVMHは彼を通じてハウスの活性化を図った一方で、移籍が早期に決定したためジバンシィ内部における恒久的な再編や長期的なスタイル定着には至りませんでした。

John Gallianoとの関わり

1984 - 2011

デザイナー

ジョン・ガリアーノは1984年、セントラル・セント・マーチンズでの卒業作『Les Incroyables』を契機に自身の名を冠したブランドを立ち上げ、創設デザイナーとしてブランドのクリエイティブ全般を主導しました。1991年のパリデビュー以降、歴史的モチーフと演劇的演出を融合させたオートクチュール的なドレスワークと物語性の強いショーで国際的な注目を集め、プレタポルテとハイファッションの双方でコレクションを展開しました。1990年代前半に財務的な困難を経験したものの、投資家による再建とパリ拠点の整備を経て事業基盤を強化し、1996年以降はLVMH/ディオール系の支援下で運営規模を拡大しました。ガリアーノは自身の特異な美学をブランドの核に据え、長年にわたりデザイン哲学とビジュアルアイデンティティを牽引し、メディアとセレブリティの注目を集める存在に育て上げましたが、2011年の一連の出来事を契機にブランドへの直接的な関与は終息しました。

在任期

在任期間はブランド創設の1984年から2011年までと位置づけられます。パリでの問題行為と逮捕が2011年2月下旬に発生し、2011年3月1日にディオールが解任手続きを開始、2011年4月中旬には自身の名を冠したブランドからも退くことが報じられました。

影響

ブランドへの最大の影響は、ガリアーノ個人の劇場的な演出と歴史的リファレンスを軸にした美学がそのままブランドの識別子となった点にあります。オートクチュール的な技巧と物語性でショー自体を注目の的にし、メディア露出や著名人の支持を得た一方で、事業面では資金調達や所有構造の変化、2011年の不祥事による創業者不在がブランド運営に大きな転機をもたらしました。

関連ブランド

関わったグループ

在任中のコラボレーション

2023.09

Maison Margiela CHENPENG

2023年9月、MM6×CHENPENG。パファーコートやクロップド、ジレなど全3型を中心にコレクション展開。

2023.02

Maison Margiela Gentle Monster

2023年2月発表・2月28日発売。第1弾は計11型(サングラス+オプティカル)をラインナップ。Galliano流の解釈が光る。

2022.11

Maison Margiela Salomon

2022年11月、MM6とSalomonの初コラボ。Cross Low/Cross Highなどアウトドア×都市テーマで2シルエットを展開。

2022.04

Maison Margiela EASTPAK

2022年4月、第2弾コラボでバッグ、バックパック、ウォレット、スーツケース等を展開。シュルレアリスムな“視覚的ジョーク”も表現。

2021.09

Maison Margiela EASTPAK

2021年9月、MM6×Eastpak初コラボ。Eastpakの定番バッグをMM6流に再構築、リバーシブル等のギミックが特徴。

2021.05

Maison Margiela Reebok

2021年5月、Classic Leather TabiとClub Cの新色追加。コラボ継続展開の一部としてリリース。

2021.03

Maison Margiela Reebok

2021年3月、プリントで立体感を再現した“Club C”モデルも展開。1枚革+平面画像のトロンプルイユ手法を活用。

2021.01

Maison Margiela Reebok

2021年1月、Classic LeatherをTabi化した“Classic Leather Tabi (Bianchetto)”を発売。白塗り表現“Bianchetto”も特徴。

2020.10

Maison Margiela The North Face

2020年、MM6とTHE NORTH FACE初コラボ。Expedition SystemをMM6流に再構築し、連結等のアイデアを含むAW20カプセルを展開。

2020.09

Maison Margiela Reebok

2020年以降、Tabi Instapump Furyなど継続的なフットウェア協業を展開。初回は2020年9月、他にもClassic Leather Tabiなど複数モデルが発売。

2017.12

Maison Margiela MACKINTOSH

2017年12月、Mackintoshとの初コラボでトレンチコート2型を展開。白衣の発想やGalliano流デコルティケを融合したデザイン。

2014.04

Maison Margiela MYKITA

2014年春夏シーズン、“Essential”“Dual”2系統・合計10型のユニセックスアイウェアを限定的に展開。脱構築やパウダーコート等の特徴。

関連する人物

Maison Margiela

2025 - 継続中または終了年不明

グレン・マーティンス

クリエイティブ・ディレクター

グレン・マーティンスについて

ベルギー出身のファッションデザイナー/クリエイティブ・ディレクター(Diesel、Maison Margiela兼務)

ベルギー出身のファッションデザイナーでクリエイティブ・ディレクター。パリとミラノを拠点にコレクション制作とブランド再編を手掛ける人物。インテリアデザインの学士を経てアントワープ王立美術学院でファッションを学び、卒業直後にジャン=ポール・ゴルチエのアトリエに参加してプロのキャリアを開始。Y/Projectでは解体と再構築を軸にした実験的なシルエットで国際的評価を高め、ANDAM大賞などの受賞歴を持つ。2020年にDieselのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されブランドの若年層取り込みに貢献し、2025年にMaison Margielaのクリエイティブ・ディレクターに就任してオートクチュールとプロダクト両面で活動を続ける。

Glenn Martens

Dior

2025 - 継続中または終了年不明

ジョナサン・アンダーソン

クリエイティブ・ディレクター

ジョナサン・アンダーソンについて

ファッションデザイナー/JW Anderson創設者。2025年よりクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクター。

ジョナサン・アンダーソン(Jonathan William Anderson、1984年9月17日生まれ)は北アイルランド出身のファッションデザイナーです。2008年に自身のブランド「JW Anderson」を設立し、メンズとウィメンズの境界を問い直すジェンダー流動的なシルエットと、素材や職人技を重視する美学で国際的に知られています。2013年から2025年までロエベのクリエイティブディレクターを務め、パズルバッグなどのヒット作やクラフト支援プログラムを通じてブランドを再定義しました。2025年にはクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクターに就任し、メンズ・ウィメンズ・オートクチュールを横断して創作を統括しています。出身地マガハーフェルトでの育ちや家族背景が創作に影響を与えていること、また高級ブランド運営と日常向けコラボレーションを両立させる点でも知られています。

Jonathan Anderson

2018 - 2025

キム・ジョーンズ

アーティスティック・ディレクター

キム・ジョーンズについて

イギリス出身のファッションデザイナー。元ディオール・メンとフェンディのアーティスティックディレクター

キム・ニクラス・ジョーンズ(Kim Niklas Jones、1973年9月11日生まれ)は、ロンドン出身のイギリス人ファッションデザイナーで、メンズウェアの刷新とメゾン文化の現代化を得意とするクリエイターです。カンバウェルでグラフィックと写真を学び、中央聖マーチンズでメンズウェアを専攻してキャリアを開始。卒業後は自身の名義ブランドを立ち上げ、ダンヒルのクリエイティブディレクターを経てルイ・ヴィトンでメンズの表現を拡張し、2018年からディオール・メンのアーティスティックディレクターを務めました。ストリートカルチャーとラグジュアリーを接続するコラボレーション(例:ルイ・ヴィトン×シュプリーム)や、アーティストとの共同プロジェクト、BTSなどの舞台衣装制作、さらにはディオール・メンでのメンズ・オートクチュール導入など多面的な仕事で注目を集めています。公的な栄典として2020年にOBEを受章し、2025年にはフランスのレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)を受けています。

Kim Jones

2016 - 2025

マリア・グラツィア・キウリ

アーティスティック・ディレクター

マリア・グラツィア・キウリについて

ファッションデザイナー。フェンディ チーフクリエイティブオフィサー(元ディオール ウィメンズ責任者)。

マリア・グラツィア・キウリはイタリア・ローマ出身のファッションデザイナー。1964年2月2日生まれ。ローマのイストゥトゥート・ヨーロッパ・ディ・デザイン(Istituto Europeo di Design)で学んだ後、フェンディでバッグデザインに携わり、1999年にヴァレンティノへ移籍。2008年からはピエルパオロ・ピッチョーリと共同でクリエイティブディレクターを務め、2016年にクリスチャン・ディオールのウィメンズコレクション責任者に就任して同メゾンで初の女性トップデザイナーとなった。ディオール在任中はフェミニズムをテーマにしたコレクションやアーティストとの協働で注目を集め、サドルバッグの復刻や写真集『Her Dior』の刊行を通じて商業的・文化的な影響を残した。2025年にはフェンディへ帰還しチーフクリエイティブオフィサーに就任した。伝統的な職人技と現代的な文化的メッセージを結びつける表現が特徴である。

Maria Grazia Chiuri

2012 - 2015

ラフ・シモンズ

クリエイティブ・ディレクター

ラフ・シモンズについて

ベルギー出身のファッションデザイナー、Prada共同クリエイティブディレクター(アントワープ拠点)

ラフ・シモンズ(Raf Simons)はベルギー出身のファッションデザイナーで、アントワープを拠点にメンズとウィメンズを横断するコレクションを発表する。若者文化や音楽、現代美術を参照したモチーフと精緻な仕立てを組み合わせる表現で国際的に評価されている。工業・家具デザインを学び1991年に卒業、家具デザイナーやウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのアトリエでのインターンを経て1995年に自身のブランドを立ち上げた。以後、教育(ウィーン応用芸術大学のファッション学科長)や主要メゾンでのクリエイティブ職を通じて活動の幅を広げ、Jil Sander、Christian Dior、Calvin Kleinなどでの就任を経て、2020年にMiuccia Pradaと共同でPradaの共同クリエイティブディレクターに就任した。2022年には自身のブランドの閉鎖を発表し、コレクション制作にとどまらない展覧やコラボレーションを通じて現代美学の議論に関与し続けている。

Raf Simons

1989 - 1996

ジャンフランコ・フェレ

アーティスティック・ディレクター

ジャンフランコ・フェレについて

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエット...

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエットを持ち込み、1980〜90年代のメゾンに新たな国際性と重厚なエレガンスを与えた。

Gianfranco Ferré

1960 - 1989

マルク・ボアン

クリエイティブ・ディレクター

マルク・ボアンについて

フランスのオートクチュールデザイナー。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクター(1960–1989)。

マルク・ボアン(Marc Bohan、1926年8月22日 - 2023年9月6日)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを長年務めた人物です。端正で抑制の効いたエレガンスと精緻なテーラリングを信条とし、女性の身体を美しく見せるスリムなシルエットで知られます。1950年代にロベール・ピゲ、エドワール・モリュー、ジャン・パトゥーらのもとで修業し、1958年にディオールのロンドン部門に参加。1960年に本店のクリエイティブディレクターに就任して以降、ベビーラインやメンズラインの立ち上げなどハウスの事業展開にも関わりつつ、グレース・ケリーやエリザベス・テイラー、イラン皇后ファラー・パフラヴィなど国際的な顧客に愛用されました。穏やかな人物像と実用性を重んじる服作りでディオールの伝統を長年支え、1989年の退任後はロンドンで活動を続けました。

Marc Bohan

1957 - 1960

イヴ・サン・ローラン

アーティスティック・ディレクター

イヴ・サン・ローランについて

フランスのファッションデザイナー。メゾン創業者であり、若くしてディオールの後継を務めた。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent、1936年8月1日—2008年6月1日)は、20世紀後半のファッションを象徴するフランスのデザイナーです。アルジェリアのオランで生まれ、若くしてパリに出てクリスチャン・ディオールのアトリエで修業し、1957年に21歳でディオールの後継となりました。1961年にピエール・ベルジェとともに自身のメゾンを創設し、左岸発のプレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」を打ち出してハイファッションの大衆化を推進しました。女性のパンツスタイルや女性用タキシード「ル・スモーキング」など、性別の境界を揺るがすアイコニックなデザインで知られ、香水やメンズラインの展開、国際的な回顧展などを通じて広く影響を及ぼしました。私生活では精神的な苦悩や依存の時期もあったものの、退任後も作品と美学は現代に残り、パリやマラケシュでの博物館公開を通じて遺産が保存されています。

Yves Saint Laurent

1946 - 1957

クリスチャン・ディオール

デザイナー

クリスチャン・ディオールについて

フランスのオートクチュールデザイナー、メゾン・クリスチャン・ディオール創立者で戦後ファッションに革新をもたらした人物。

クリスチャン・ディオール(Christian Dior、1905年1月21日生-1957年10月24日没)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、20世紀半ばの女性服を象徴する存在です。ノルマンディーのグランヴィルで生まれ、パリで政治学を学んだ後に若くして画廊を経営し美術に親しんだ経験が造形感覚を育みました。1946年に実業家の支援を受けてメゾンを設立し、1947年の初コレクション「コロール」(のちに「ニュールック」と呼ばれる)で絞られたウエストと豊かなスカートという新しいシルエットを提示して戦後のファッションを一変させました。香水『ミス・ディオール』の発表などを通じてブランドを国際的に拡大し、1957年に死去するまでメゾンを牽引しました。

Christian Dior

Givenchy

2024 - 継続中または終了年不明

サラ・バートン

クリエイティブ・ディレクター

サラ・バートンについて

英国のファッションデザイナー、ジバンシィのクリエイティブ・ディレクター。アレキサンダー・マックイーンで長く要職を務めた。

英国のファッションデザイナーで、現在はジバンシィのクリエイティブ・ディレクターを務める。1974年生まれ。マックルズフィールドに生まれ、マンチェスターで学んだのち、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでファッションを修め、1997年に卒業した。1996年にアレキサンダー・マックイーンへ加わり、在学中のインターンを経て現場に入り、2000年にヘッド・オブ・デザイン、2010年にクリエイティブ・ディレクターへ昇格。13年にわたる在任中はウィメンズとメンズの両コレクションを率い、教育プログラムの整備にも関わった。2011年のキャサリン妃の婚礼衣装で広く知られ、2012年にOBEを受章。2023年の退任後、2024年にジバンシィへ移り、2025年3月の初コレクション以降は、同メゾンの新章を担っている。

Sarah Burton

Dior Men

2025 - 2025

ジョナサン・アンダーソン

クリエイティブ・ディレクター

ジョナサン・アンダーソンについて

ファッションデザイナー/JW Anderson創設者。2025年よりクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクター。

ジョナサン・アンダーソン(Jonathan William Anderson、1984年9月17日生まれ)は北アイルランド出身のファッションデザイナーです。2008年に自身のブランド「JW Anderson」を設立し、メンズとウィメンズの境界を問い直すジェンダー流動的なシルエットと、素材や職人技を重視する美学で国際的に知られています。2013年から2025年までロエベのクリエイティブディレクターを務め、パズルバッグなどのヒット作やクラフト支援プログラムを通じてブランドを再定義しました。2025年にはクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクターに就任し、メンズ・ウィメンズ・オートクチュールを横断して創作を統括しています。出身地マガハーフェルトでの育ちや家族背景が創作に影響を与えていること、また高級ブランド運営と日常向けコラボレーションを両立させる点でも知られています。

Jonathan Anderson

2018 - 2025

キム・ジョーンズ

アーティスティック・ディレクター

キム・ジョーンズについて

イギリス出身のファッションデザイナー。元ディオール・メンとフェンディのアーティスティックディレクター

キム・ニクラス・ジョーンズ(Kim Niklas Jones、1973年9月11日生まれ)は、ロンドン出身のイギリス人ファッションデザイナーで、メンズウェアの刷新とメゾン文化の現代化を得意とするクリエイターです。カンバウェルでグラフィックと写真を学び、中央聖マーチンズでメンズウェアを専攻してキャリアを開始。卒業後は自身の名義ブランドを立ち上げ、ダンヒルのクリエイティブディレクターを経てルイ・ヴィトンでメンズの表現を拡張し、2018年からディオール・メンのアーティスティックディレクターを務めました。ストリートカルチャーとラグジュアリーを接続するコラボレーション(例:ルイ・ヴィトン×シュプリーム)や、アーティストとの共同プロジェクト、BTSなどの舞台衣装制作、さらにはディオール・メンでのメンズ・オートクチュール導入など多面的な仕事で注目を集めています。公的な栄典として2020年にOBEを受章し、2025年にはフランスのレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)を受けています。

Kim Jones

Miss Dior

1967 - 1975

フィリップ・ギブールジェ

デザイナー

フィリップ・ギブールジェについて

フランス出身のファッションデザイナー。DiorでMiss Diorの既製服を立ち上げ、Chanelでレディ・トゥ・ウェアのアーティスティックディレクターを務めた

フランス出身のファッションデザイナー。フォンテーヌブロー生まれ、主にパリを拠点に既製服の開発とメゾンのライン構築を手がけた。15歳で服づくりを始め、ジャック・ファスやランバンでの修業を経て1960年にクリスチャン・ディオールに入社し、マーク・ボアンのもとでアシスタントを務めた。ディオールではブティック向けのコリフィシェ(Colifichets)やライセンス商品のスタジオを統括し、1967年に若年層を想定した既製服ライン『Miss Dior』を立ち上げてメゾンの既製服事業を拡張した。のちにシャネルに移り、パルファン部門が設けた『Création Chanel』のアーティスティック・ディレクターとしてレディ・トゥ・ウェアの立ち上げと流通拡大に携わり、1982年に退任して自身のブランドを設立した。手がけたアイテムはドレス、スーツ、コートからアクセサリーまで幅広く、メゾンの伝統を保ちつつ日常着としての実用性を重視したデザインが特徴。その活動はメゾンの既製化における重要な一章と位置づけられることがある。生没年:1931年7月22日–1986年3月7日。

Philippe Guibourgé

Dior Homme

2007 - 2018

クリス・ヴァン・アッシュ

アーティスティック・ディレクター

クリス・ヴァン・アッシュについて

ベルギー出身のメンズウェアデザイナー/元Dior Homme・元Berlutiアートディレクター、パリ拠点。

ベルギー出身のメンズウェアデザイナー。パリを拠点に活動し、アーティスティック・ディレクターや自身のブランドでの創作を通じてモダンな仕立てと都市的なミニマリズムを軸に作品を展開する。アントワープ王立美術アカデミーでファッションを学び、卒業後パリに移ってイヴ・サンローランでヘディ・スリマンのアシスタントを務め、のちにディオールのメンズラインの立ち上げに参加した。2005年に自らのブランドKRISVANASSCHEを立ち上げ、2013年にパリにブティックを開店したが、2015年に活動を一時休止した。2007年から2018年までディオール・オムのアーティスティック・ディレクターを務め、伝統的な仕立てに現代的なカットやストリートの要素を組み合わせたシルエットを提示し、A$AP RockyやOliver Simらをアンバサダーに起用した。2018年にベルルッティのクリエイティブディレクターに就任、2019年にデビューコレクションを発表したのち2021年に退任。レザーや靴、家具修復を含む工房仕事やアートプロジェクトとの連携も行い、現在は教育やコラボレーションを中心に多面的に活動する。

Kris Van Assche

2000 - 2007

エディ・スリマン

クリエイティブ・ディレクター

エディ・スリマンについて

ファッションデザイナー・写真家。複数の主要メゾンでクリエイティブディレクターを歴任し、国際的な影響力を持つ。

ヘディ・スリマンはフランス出身のファッションデザイナー兼写真家で、1968年7月5日パリ生まれ。エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学んだ後にファッション業界へ入り、メンズウェアのシルエットを再定義したことで国際的に知られる。特にディオール・オム期に確立した細身でアンドロジナスな“スキニー”シルエットは21世紀初頭の男性ファッションに大きな影響を与えた。デザインと並行してモノクロ写真を中心に写真集や展覧会を多数発表し、ロックや若者文化を反映したビジュアル表現でも注目を集める。主要メゾンでのクリエイティブ就任やブランド再編を通じて商業的な成功と論争を併せ持つキャリアを築いてきた。

Hedi Slimane

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