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フィリップ・ギブールジェ

Philippe Guibourgé

フランス 1931 1986 (享年55歳)

フランス出身のファッションデザイナー。DiorでMiss Diorの既製服を立ち上げ、Chanelでレディ・トゥ・ウェアのアーティスティックディレクターを務めた

最終更新日: 2026.03.13

フィリップ・ギブールジェについて

フランス出身のファッションデザイナー。フォンテーヌブロー生まれ、主にパリを拠点に既製服の開発とメゾンのライン構築を手がけた。15歳で服づくりを始め、ジャック・ファスやランバンでの修業を経て1960年にクリスチャン・ディオールに入社し、マーク・ボアンのもとでアシスタントを務めた。ディオールではブティック向けのコリフィシェ(Colifichets)やライセンス商品のスタジオを統括し、1967年に若年層を想定した既製服ライン『Miss Dior』を立ち上げてメゾンの既製服事業を拡張した。のちにシャネルに移り、パルファン部門が設けた『Création Chanel』のアーティスティック・ディレクターとしてレディ・トゥ・ウェアの立ち上げと流通拡大に携わり、1982年に退任して自身のブランドを設立した。手がけたアイテムはドレス、スーツ、コートからアクセサリーまで幅広く、メゾンの伝統を保ちつつ日常着としての実用性を重視したデザインが特徴。その活動はメゾンの既製化における重要な一章と位置づけられることがある。生没年:1931年7月22日–1986年3月7日。

キャリアタイムライン

フィリップ・ギブールジェとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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Miss Dior デザイナー 1967 - 1975
CHANEL アーティスティック・ディレクター 1975 - 1982

経歴

15歳で服づくりを始め、ジャック・ファスに作品を見せて同工房で実務経験を重ねた。続いてランバンでアントニオ・デル・カスティーリョのもとで修業し、1960年にクリスチャン・ディオールに入社してマーク・ボアンのアシスタントとしてメゾン運営とコレクション作業を学んだ。形式的な学位の記録は見られず、メゾン内での実践的な修業を経た経歴。
ジャック・ファスでの初期経験とランバンでの修業を経て1960年にクリスチャン・ディオールに入社、マーク・ボアンのアシスタントとしてキャリアを積んだ。ディオール在籍中はブティック向けコレクション『Colifichets』やライセンス商品の制作・管理を担い、1967年に既製服ライン『Miss Dior』を立ち上げてドレス、コート、スーツ、セパレーツなど多彩なアイテムを展開しメゾンの既製服事業の基盤形成に寄与した。約15年のディオールでの活動後にシャネルへ移り、パルファン部門が設置した『Création Chanel』のアーティスティック・ディレクターとしてレディ・トゥ・ウェアの制度化と流通拡大に関与した。1982年にシャネルを退任して自身のブランドを設立し、独立後も自身のラインで活動を継続した。業界内では商業ラインとデザインの両立に長けたデザイナーとして評価される一方、一般的な知名度は限定的で“影のデザイナー”と呼ばれることもあった。1986年に逝去し、メゾンの既製服普及史における重要な人物として位置づけられている。

CHANELとの関わり

1975 - 1982

アーティスティック・ディレクター

シャネルにおけるアーティスティック・ディレクター(Création Chanel担当)として1975年から1982年まで在任し、メゾンの既製服(レディ・トゥ・ウェア)事業の立ち上げと運営を担った人物。ディオールでMiss Diorの立ち上げを手がけた実務経験を引き、これまでハイ・クチュール中心で既製服の大規模流通を控えていたシャネルを、パルファム部門が設置した独立組織「Création Chanel」を通じて既製服市場へ導入した点が在任の中心的役割。デザイン面ではココ・シャネルのワードローブ原理を尊重しつつ、ブランドコードを日常着へ再編集し、派手さよりも投資価値や着回し性を重視する実用的なワードローブを提示したことが特徴。業界内では“ゴースト・デザイナー”的な存在とも評され、1980年前後に自名クレジットが現れ始めたのち1982年に退任して独立ブランドを立ち上げた。1970年代のシャネル作品に彼のクレジットが残る博物館所蔵例やオークション記録も存在する点が、当時の実務的関与を示す資料的根拠となる。

在任期

1975年にシャネルのCréation Chanelアーティスティック・ディレクターに就任し、Parfums Chanelの下に設けられた独立部門で既製服コレクションの企画・展開と商業化を担当した。ディオールでの長年のキャリアとMiss Dior立ち上げ経験を背景にメゾンの事業領域拡張を担い、1982年に退任して自身のブランドを設立した点が在任期の重要な区切りとなる。

影響

シャネルをレディ・トゥ・ウェア市場へ導入し、ココ・シャネルの伝統を保ちながら日常向けワードローブへ再解釈したことが主な影響。メゾンの商業的な再編成とブランド回復に寄与したと評価され、当時の作品が博物館収蔵やオークション記録にクレジットされている点が彼の関与の痕跡となっている。

Miss Diorとの関わり

1967 - 1975

デザイナー

Miss Diorのプレタポルテ(既製服)ラインにおけるデザイナー兼ラインディレクターとして、Marc Bohanのもとで1967年に同ラインの立ち上げと商品構成を任され、ブランドの既製服戦略を実務的に牽引した存在。 もともと1960年にBohanのアシスタントとしてDiorに入社し、ブティック向けコレクションやスタジオ運営、ライセンス商品の監修などを経験した実務背景を持つことで、Miss Diorの企画から流通までを横断的に担当した。 Miss Diorは若年層を意識したより実用的で手の届きやすい価格帯のラインとして設計され、Adeline Andréらとの協働でアヴェニュー・モンテーニュの専用ブティックを含む小売網を通じて展開された点が特徴。 初期には顧客層の拡大など短期的な成功を記録したが、販売の伸び悩みと採算性の課題が続き、約8年にわたるライン責任を経て1975年にDiorを退任した。退任後はChanelのプレタポルテ部門に参加するなど別メゾンでの実務に移行し、Miss Diorのプレタポルテは彼の退任後にMarc Bohanが再び取りまとめたものの長期的な採算回復には至らず段階的に縮小した。

在任期

Diorには1960年11月にMarc Bohanのアシスタントとして加わり、社内でブティック向け企画やスタジオの役割を担ったのち、1967年9月にMiss Diorのプレタポルテを立ち上げてライン責任者となった。約8年間(1967年–1975年)をMiss Diorの実務責任者として過ごし、Dior在籍は通算で約15年に及んだとされる。

影響

Miss Diorの立ち上げを通じてDiorの顧客層を若年層やより大きな市場へ広げる試みを具体化し、短期的には来店客の増加などの成果を示した一方で、長期的な採算化は課題として残った点が大きな影響。Miss Diorのプレタポルテは彼の在任中にブランドの幅を拡げる役割を果たしたが、1970年代後半から縮小し最終的にはラインの廃止につながった。

関連ブランド

関連する人物

CHANEL

2025 - 継続中または終了年不明

マチュー・ブレイジー

アーティスティック・ディレクター

マチュー・ブレイジーについて

フランス系ベルギー出身のファッションデザイナー/シャネル アーティスティック・ディレクター(拠点:パリ)。

マチュー・ブレイジーは、1984年生まれのフランス・ベルギー両国の背景を持つファッションデザイナーで、パリを拠点に活動する。ラ・カンブルでファッションを学び、ラフ・シモンズのもとでプロとしての基礎を築いた後、メゾン・マルジェラ、セリーヌ、カルバン・クラインなどで要職を歴任。2020年にボッテガ・ヴェネタのプレタポルテ部門のデザイン責任者に就き、2021年にクリエイティブ・ディレクターに昇格して素材実験と職人技を軸にしたコレクションで評価を高めた。チーム運営は協調的で職人との直接的協働を重視し、日常性とクラフト性を両立させる制作姿勢が特徴。2024年12月にシャネルのアーティスティック・ディレクター就任が発表され、ハウスのアーカイブやメティエダールの技術を取り込んだ包括的な創作を進めている。

Matthieu Blazy

2019 - 2024

ヴィルジニー・ヴィアール

アーティスティック・ディレクター

ヴィルジニー・ヴィアールについて

フランス出身のファッションデザイナー/CHANEL元アーティスティック・ディレクター(パリ拠点)

フランス出身でパリを拠点とするファッションデザイナー。CHANELのアーティスティック・ディレクターを務め、メゾンのコレクション制作とアトリエ運営を主導した人物。リヨンの専門校で舞台・映画衣装を学び、衣装助手として現場経験を積んだ後、1987年にCHANELのオートクチュール刺繍部門に研修生として参加しアトリエワークを基盤にキャリアを築いた。カール・ラガーフェルドの側近として長年制作を支え、1997年にオートクチュールスタジオの責任者に就任、以降メゾンの複数ラインを統括する立場を担った。2019年にアーティスティック・ディレクターに昇格し、伝統を尊重しつつ着やすさと職人の手仕事を重視するコレクションを展開。2024年6月に退任した。映画衣装のクレジットとして『Three Colours: Blue/White』等がある。

Virginie Viard

1988 - 2007

ロレンツ・バウマー

アーティスティック・ディレクター

ロレンツ・バウマーについて

ジュエリーデザイナー/メゾン創業者・ディレクター(パリ拠点)

フランスを拠点に活動するジュエリーデザイナーで、パリ・ヴァンドーム広場19番地にメゾンを構える創業者兼ディレクター。1965年ワシントンD.C.生まれで、外交官である父の赴任先を転々とするなか15歳でパリへ移住し学業を修めた。エコール・サントラル・パリで工学とデザインを学んだ後、1988年にジュエリー制作を始め、1992年に自身のメゾンを設立。シャネルのジュエリー制作を長年手掛けた後、2007年にルイ・ヴィトンのジュエリー部門アーティスティック・ディレクターに就任し、同社で複数のコレクションを発表した。2010年のモナコ王室のティアラ制作や2013年のヴァンドーム19番地でのブティック開設を経て、隕石や香りを組み込むチタニウム、ダイヤモンドの新技法など素材・技術の実験を通じた作品発表を続けている。

Lorenz Bäumer

1983 - 2019

カール・ラガーフェルド

アーティスティック・ディレクター

カール・ラガーフェルドについて

ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター(パリ拠点)

Karl Lagerfeldは1933年9月10日生まれのドイツ出身でパリを拠点に活動したファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター。1950年代から2019年までの半世紀以上にわたりシャネル、フェンディ、クロエなどで表現を再構築し、メゾンの近代化と商業的成功に寄与した。幼少期にパリで美術と歴史を学び、1954年の国際ウール賞で頭角を現してピエール・バルマンのアシスタントとして業界入りした。1958年以降はジャン・パトゥやクロエのコレクションを手がけ、1965年にフェンディの創造的指導を担って同社の毛皮とレザー部門を刷新した。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに就任してブランドの現代化を牽引し、1984年に自身の名を冠したレーベルを設立した。スケッチや写真、舞台演出まで含むビジュアル制作に深く関与し、黒のサングラスと白髪、ハイカラーの装いが象徴となった。2019年2月19日に逝去。

Karl Lagerfeld

1910 - 1971

ガブリエル・ボヌール・シャネル

デザイナー

ガブリエル・ボヌール・シャネルについて

フランスのファッションデザイナー、メゾン・シャネル創設者。パリ拠点の20世紀モードの先駆者

フランスのファッションデザイナー、メゾン・シャネル創業者。パリを拠点に活動し、20世紀の女性服を根本から変えたガブリエル・ボヌール・シャネル(通称ココ・シャネル、1883年8月19日—1971年1月10日)。幼少期に修道院系の寄宿学校で裁縫の基礎を学び、1910年代に帽子店から事業を開始して婦人服へと展開。ジャージー素材を用いた動きやすい実用服、リトルブラックドレスの定着、襟なしのジャケットとスカートから成るシャネル・スーツの創出、コスチュームジュエリーの普及などを通じて装飾過多を排した簡潔で機能的な美学を提示した。1921年にシャネル No.5を発売して香水市場にも影響を与え、1939年の一時休業後に1954年に復帰してモード界への影響力を再確認した。彼女のデザインは男性服の要素やスポーティな意匠を取り入れて女性の自立に沿う機能性を重視した点が特徴。コスチュームジュエリーやツイード素材、チェーンハンドルのバッグやバイカラーの靴など多くのプロダクトを定着させた。シャネルは長年ホテル・リッツを居所とし、31番地ル・カンボンのサロンをブランド拠点として経営と創作を行った。没後もメゾンは世界的ブランドとして継承されている。

Gabrielle Bonheur Chanel

Dior

2025 - 継続中または終了年不明

ジョナサン・アンダーソン

クリエイティブ・ディレクター

ジョナサン・アンダーソンについて

ファッションデザイナー/JW Anderson創設者。2025年よりクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクター。

ジョナサン・アンダーソン(Jonathan William Anderson、1984年9月17日生まれ)は北アイルランド出身のファッションデザイナーです。2008年に自身のブランド「JW Anderson」を設立し、メンズとウィメンズの境界を問い直すジェンダー流動的なシルエットと、素材や職人技を重視する美学で国際的に知られています。2013年から2025年までロエベのクリエイティブディレクターを務め、パズルバッグなどのヒット作やクラフト支援プログラムを通じてブランドを再定義しました。2025年にはクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクターに就任し、メンズ・ウィメンズ・オートクチュールを横断して創作を統括しています。出身地マガハーフェルトでの育ちや家族背景が創作に影響を与えていること、また高級ブランド運営と日常向けコラボレーションを両立させる点でも知られています。

Jonathan Anderson

2018 - 2025

キム・ジョーンズ

アーティスティック・ディレクター

キム・ジョーンズについて

イギリス出身のファッションデザイナー。元ディオール・メンとフェンディのアーティスティックディレクター

キム・ニクラス・ジョーンズ(Kim Niklas Jones、1973年9月11日生まれ)は、ロンドン出身のイギリス人ファッションデザイナーで、メンズウェアの刷新とメゾン文化の現代化を得意とするクリエイターです。カンバウェルでグラフィックと写真を学び、中央聖マーチンズでメンズウェアを専攻してキャリアを開始。卒業後は自身の名義ブランドを立ち上げ、ダンヒルのクリエイティブディレクターを経てルイ・ヴィトンでメンズの表現を拡張し、2018年からディオール・メンのアーティスティックディレクターを務めました。ストリートカルチャーとラグジュアリーを接続するコラボレーション(例:ルイ・ヴィトン×シュプリーム)や、アーティストとの共同プロジェクト、BTSなどの舞台衣装制作、さらにはディオール・メンでのメンズ・オートクチュール導入など多面的な仕事で注目を集めています。公的な栄典として2020年にOBEを受章し、2025年にはフランスのレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)を受けています。

Kim Jones

2016 - 2025

マリア・グラツィア・キウリ

アーティスティック・ディレクター

マリア・グラツィア・キウリについて

ファッションデザイナー。フェンディ チーフクリエイティブオフィサー(元ディオール ウィメンズ責任者)。

マリア・グラツィア・キウリはイタリア・ローマ出身のファッションデザイナー。1964年2月2日生まれ。ローマのイストゥトゥート・ヨーロッパ・ディ・デザイン(Istituto Europeo di Design)で学んだ後、フェンディでバッグデザインに携わり、1999年にヴァレンティノへ移籍。2008年からはピエルパオロ・ピッチョーリと共同でクリエイティブディレクターを務め、2016年にクリスチャン・ディオールのウィメンズコレクション責任者に就任して同メゾンで初の女性トップデザイナーとなった。ディオール在任中はフェミニズムをテーマにしたコレクションやアーティストとの協働で注目を集め、サドルバッグの復刻や写真集『Her Dior』の刊行を通じて商業的・文化的な影響を残した。2025年にはフェンディへ帰還しチーフクリエイティブオフィサーに就任した。伝統的な職人技と現代的な文化的メッセージを結びつける表現が特徴である。

Maria Grazia Chiuri

2012 - 2015

ラフ・シモンズ

クリエイティブ・ディレクター

ラフ・シモンズについて

ベルギー出身のファッションデザイナー、Prada共同クリエイティブディレクター(アントワープ拠点)

ラフ・シモンズ(Raf Simons)はベルギー出身のファッションデザイナーで、アントワープを拠点にメンズとウィメンズを横断するコレクションを発表する。若者文化や音楽、現代美術を参照したモチーフと精緻な仕立てを組み合わせる表現で国際的に評価されている。工業・家具デザインを学び1991年に卒業、家具デザイナーやウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのアトリエでのインターンを経て1995年に自身のブランドを立ち上げた。以後、教育(ウィーン応用芸術大学のファッション学科長)や主要メゾンでのクリエイティブ職を通じて活動の幅を広げ、Jil Sander、Christian Dior、Calvin Kleinなどでの就任を経て、2020年にMiuccia Pradaと共同でPradaの共同クリエイティブディレクターに就任した。2022年には自身のブランドの閉鎖を発表し、コレクション制作にとどまらない展覧やコラボレーションを通じて現代美学の議論に関与し続けている。

Raf Simons

1996 - 2011

ジョン・ガリアーノ

クリエイティブ・ディレクター

ジョン・ガリアーノについて

ジブラルタル出身の英国ファッションデザイナー。ディオールやメゾン・マルジェラで創作を指揮した。

ジョン・ガリアーノ(John Galliano)は、ジブラルタル生まれの英国のファッションデザイナーで、歴史的な衣装や綿密なリサーチを基にした演劇的なプレゼンテーションで知られる。セントラル・セント・マーチンズで注目を集めた後、自身のブランドとパリのメゾンで活躍し、1995年にジバンシィ、1996年にクリスチャン・ディオールの創作を任されて国際的な評価を確立した。2009年にレジオン・ドヌールを受章するなど栄誉を得る一方、2011年の差別的発言を巡るスキャンダルでディオールを解任され、裁判で有罪判決を受けるという転機を迎えた。その後は治療と謝罪を経て活動を再開し、2014年にメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに就任、十年近く同ブランドを率いたが、2024年に同職を離れた。復帰と論争を併せ持つ複雑な経歴で、現在もファッション界で大きな注目を集めている。

John Galliano

1989 - 1996

ジャンフランコ・フェレ

アーティスティック・ディレクター

ジャンフランコ・フェレについて

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエット...

建築教育を受けたイタリア人デザイナーで、“ファッション界の建築家”の異名で知られる。1989年からDiorのアーティスティック・ディレクターとして構築的で豪奢なシルエットを持ち込み、1980〜90年代のメゾンに新たな国際性と重厚なエレガンスを与えた。

Gianfranco Ferré

1960 - 1989

マルク・ボアン

クリエイティブ・ディレクター

マルク・ボアンについて

フランスのオートクチュールデザイナー。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクター(1960–1989)。

マルク・ボアン(Marc Bohan、1926年8月22日 - 2023年9月6日)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを長年務めた人物です。端正で抑制の効いたエレガンスと精緻なテーラリングを信条とし、女性の身体を美しく見せるスリムなシルエットで知られます。1950年代にロベール・ピゲ、エドワール・モリュー、ジャン・パトゥーらのもとで修業し、1958年にディオールのロンドン部門に参加。1960年に本店のクリエイティブディレクターに就任して以降、ベビーラインやメンズラインの立ち上げなどハウスの事業展開にも関わりつつ、グレース・ケリーやエリザベス・テイラー、イラン皇后ファラー・パフラヴィなど国際的な顧客に愛用されました。穏やかな人物像と実用性を重んじる服作りでディオールの伝統を長年支え、1989年の退任後はロンドンで活動を続けました。

Marc Bohan

1957 - 1960

イヴ・サン・ローラン

アーティスティック・ディレクター

イヴ・サン・ローランについて

フランスのファッションデザイナー。メゾン創業者であり、若くしてディオールの後継を務めた。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent、1936年8月1日—2008年6月1日)は、20世紀後半のファッションを象徴するフランスのデザイナーです。アルジェリアのオランで生まれ、若くしてパリに出てクリスチャン・ディオールのアトリエで修業し、1957年に21歳でディオールの後継となりました。1961年にピエール・ベルジェとともに自身のメゾンを創設し、左岸発のプレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」を打ち出してハイファッションの大衆化を推進しました。女性のパンツスタイルや女性用タキシード「ル・スモーキング」など、性別の境界を揺るがすアイコニックなデザインで知られ、香水やメンズラインの展開、国際的な回顧展などを通じて広く影響を及ぼしました。私生活では精神的な苦悩や依存の時期もあったものの、退任後も作品と美学は現代に残り、パリやマラケシュでの博物館公開を通じて遺産が保存されています。

Yves Saint Laurent

1946 - 1957

クリスチャン・ディオール

デザイナー

クリスチャン・ディオールについて

フランスのオートクチュールデザイナー、メゾン・クリスチャン・ディオール創立者で戦後ファッションに革新をもたらした人物。

クリスチャン・ディオール(Christian Dior、1905年1月21日生-1957年10月24日没)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、20世紀半ばの女性服を象徴する存在です。ノルマンディーのグランヴィルで生まれ、パリで政治学を学んだ後に若くして画廊を経営し美術に親しんだ経験が造形感覚を育みました。1946年に実業家の支援を受けてメゾンを設立し、1947年の初コレクション「コロール」(のちに「ニュールック」と呼ばれる)で絞られたウエストと豊かなスカートという新しいシルエットを提示して戦後のファッションを一変させました。香水『ミス・ディオール』の発表などを通じてブランドを国際的に拡大し、1957年に死去するまでメゾンを牽引しました。

Christian Dior

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