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カール・ラガーフェルド

Karl Lagerfeld

ドイツ 1933 2019 (享年85歳)

ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター(パリ拠点)

最終更新日: 2026.04.12

カール・ラガーフェルドについて

Karl Lagerfeldは1933年9月10日生まれのドイツ出身でパリを拠点に活動したファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター。1950年代から2019年までの半世紀以上にわたりシャネル、フェンディ、クロエなどで表現を再構築し、メゾンの近代化と商業的成功に寄与した。幼少期にパリで美術と歴史を学び、1954年の国際ウール賞で頭角を現してピエール・バルマンのアシスタントとして業界入りした。1958年以降はジャン・パトゥやクロエのコレクションを手がけ、1965年にフェンディの創造的指導を担って同社の毛皮とレザー部門を刷新した。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに就任してブランドの現代化を牽引し、1984年に自身の名を冠したレーベルを設立した。スケッチや写真、舞台演出まで含むビジュアル制作に深く関与し、黒のサングラスと白髪、ハイカラーの装いが象徴となった。2019年2月19日に逝去。

キャリアタイムライン

カール・ラガーフェルドとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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Patou デザイナー 1958 - 1963
Fendi アーティスティック・ディレクター 1965 - 2019
Chloé デザイナー 1975 - 1983
CHANEL アーティスティック・ディレクター 1983 - 2019
Karl Lagerfeld デザイナー 1984 - 2019

経歴

幼少期はドイツの私立校で学び、パリのリセ・モンテーニュ(Lycée Montaigne)で歴史とデッサンを学んだ。エコール・ド・ラ・シャンブル・シンディカールに短期在籍し、1954年の国際ウール賞受賞後にピエール・バルマンのアシスタントとして実務に移行した。
1950年代に国際ウール賞を受賞して業界に登場後、ピエール・バルマンのアシスタントを経て1958年にジャン・パトゥのアーティスティック・ディレクターを務めた。1960年代以降はクロエのコレクションに関わり、1965年にフェンディのクリエイティブ・ディレクターに就任して2019年まで同社の毛皮とレザー部門を刷新する長期的な関係を築いた。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに迎えられ、伝統的要素を参照しつつブランドを現代的に再構築して国際的な成功へ導いた。1984年に自身の名を冠したレーベルを立ち上げ、写真・舞台・出版など多面的な表現活動を通じてメゾンとパーソナルブランド双方に長期的な影響を残した。

Karl Lagerfeldとの関わり

1984 - 2019

デザイナー

ブランド「Karl Lagerfeld」における立場は、創設者兼メインデザイナーとして自身の名前を冠したプレタポルテハウスのクリエイティブを統括した人物。1984年にパリでネームブランドを立ち上げ、シャネルやフェンディでの主要な職務と並行して個人の美学とビジネス展開を直に反映する場を構築した。伝統的なモードのコードを現代の着用性へと翻訳し、ニットやアクセサリー、香水、書籍・写真集など多岐にわたるカテゴリへデザインを拡張した点が特徴。ラガーフェルド自身が写真家・ヴィジュアルディレクターとして広告やキャンペーンを手がけ、ブランドのビジュアル・トーンを一貫して監修したことで、商品とメディアを横断する総合的なブランド表現を実現した。またフラッグシップ店舗やディフュージョンライン、ライセンス展開を通じてラグジュアリーとより手頃な価格帯を横断する商業モデルを育て、個人の署名性と国際的流通網を結びつけるブランド像を確立した。2019年の死去までネームブランドのクリエイティブ上の中心を務めた。

在任期

在任期間は1984年のネームブランド立ち上げから2019年2月19日の死去まで。ネームブランドの創設は、1983年のシャネル就任後の動きであり、シャネルやフェンディと並行しながら個人プロジェクトとしてのブランド運営とデザインを継続した点が在任期の特徴。商業展開やライセンス、出版活動を通じてブランドの事業基盤を拡大しつつ、自身がクリエイティブの最終決定権を保持した。

影響

ブランドへの代表的な影響は、ハイメゾンで磨いたクラシックな要素をプレタポルテへと翻訳するデザイン手法の確立と、デザイナー自らが視覚表現(写真・出版)まで統括する総合的なブランド構築の実践にある。これによりネームブランドは単なる服づくりにとどまらないライフスタイル表現へと拡張され、個人の署名性を基軸に商業的に成立するモデルを提示した点が評価される。国際的な店舗網や複数カテゴリのライセンス展開を通じて幅広い消費者層に到達したこともブランドの重要な変化である。

CHANELとの関わり

1983 - 2019

アーティスティック・ディレクター

CHANELにおけるアーティスティック・ディレクターとして、1983年に就任してから2019年2月19日の死去まで約36年間、オートクチュールとプレタポルテ両面のクリエイティブを統括する立場でメゾンを牽引した。 就任当初は創業者ガブリエル・“ココ”・シャネル没後の保守化と商業的停滞という課題を抱えていたが、ラガーフェルドはメゾンの膨大なアーカイブに残る視覚的記号を抽出し、ツイードやキルティング、カメリア、パール、ツートンシューズといったコードを継承しながら繰り返し再解釈する手法を導入してブランドの核心を再構築した。 デザイン面にとどまらず、巨大な舞台装置を用いたテーマ性の強いファッションショーの演出、広告ヴィジュアルの自らの撮影、店舗やディスプレイを含めたイメージ統括までトータルにコントロールすることでシャネルの視覚的言語を一貫させ、結果として高頻度のコレクション制作と派手な演出による強い露出を実現した。 イネス・ド・ラ・フレサンジュらのミューズ起用や著名モデルの戦略的活用も進め、同時期にフェンディや自身のブランドでも制作を継続する多面的な活動を通じてモード界への影響力を拡大した。 社内ではクリエイティブ・スタジオの運営体制を構築し、イメージ担当や職人技術(メティエ)チームと連携して広告・イベント・流通面を結びつけたことも長期的な継続性の礎となり、死去後は長年の右腕ヴァージニー・ヴィアールが創作の実務を引き継いだ点でメゾンの連続性が保たれた。

在任期

1983年にシャネルのクリエイティブ責任者(アーティスティック・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター)として就任し、以後2019年2月19日の死去まで約36年間にわたりメゾンのコレクション制作とイメージ戦略を実務的に統括した。就任はウォルトハイマー家による招聘で、晩年はスタジオ長ヴァージニー・ヴィアールとの共同作業が増え、死去後はヴィアールが創作の実務を引き継いだ。

影響

在任中はシャネルの歴史的コードをアーカイブから抽出して再提示する手法を確立し、伝統を保持しつつ定期的に再解釈することでブランドのアイデンティティを現代化した点が最大の影響。大規模で演劇的なショー演出と高頻度のコレクション制作により視覚的露出と商業的地位を強化し、ヘリテージブランド再生のモデルを確立して後続のデザイナーや業界の実務に影響を与えた。

Chloéとの関わり

1975 - 1983

デザイナー

カール・ラガーフェルドは、1975年1月にクロエの専属デザイナーに就任し、1983年までメゾンのウィメンズプレタポルテとブランド表現を主導した。1960年代に創業者ガビー・アギオンのもとで若手デザイナーとして関わり始め、アギオンの「高級プレタポルテ」志向を受け継ぎつつ、より演出的で時代性のあるレディトゥウェアへと再解釈した。在任期にはフルー(flou)と呼ばれる柔らかなシルエット、薄手シルクのドレス、ケープや繊細なレース使いといった造形をブランドの主要表現に定着させたことが特徴。1966年のテルトゥリアや1973年のラフマニノフといったドレスをはじめ、1982–83年頃には音楽や小道具をモチーフにした遊びのある刺繍(ヴァイオリンやハサミのモチーフなど)を導入し、コレクションの舞台性を強めた。専属化以降はモデルやイラストレーターらを巻き込んだヴィジュアル演出で若々しいブランド像を形成し、1975年の初のフレグランス発売など商業展開の進展とも同期した。1983年の離脱は活動の転換点となり、以後シャネルでの活動が中心となるが、1992年からの一時復帰も含めて複数期にわたる関係性がある。

在任期

クロエとの関係は1960年代に創業者ガビー・アギオンのもとでの断続的な関与から始まり、1974–1975年ごろに専属デザイナーとしての役割が明確化したとされる。公式年表では1975年1月の専属化が明記され、その後1970年代を中心にメゾンのデザインを牽引。1983年に離脱してシャネルへ移籍し、1992–1997年に一時的にクロエへ復帰した期がある。資料によって在任開始年や役割表現に差異が見られるため、年代表記には若干の幅がある。

影響

ラガーフェルド在任期の代表的な影響は、クロエの「軽やかなロマンティシズム」を服飾上の核に据え、フルーなシルエットやケープ、レース挿入といった視覚的語彙を定着させた点。ショーやヴィジュアルの演出を通じてメゾンの世代的アイコン性を強め、1970年代のクロエを象徴する商業的・文化的成功に寄与した。彼のコレクションは後続のクリエイティブディレクターにとって参照点となり、アーカイブ展示でも中心的に扱われる。

Fendiとの関わり

1965 - 2019

アーティスティック・ディレクター

カール・ラガーフェルドは1965年にフェンディのアーティスティック・ディレクターとして迎えられ、主にファー(毛皮)を核としたウィメンズコレクションのクリエイティブを長期にわたり統括した。創業家が保持してきた職人技と毛皮素材の知見を継承しつつ、毛皮を“布”として薄く・軽く扱う発想や、細く切った毛皮を織り合わせる加工、レザーとの組み合わせなどの技術で従来の重厚な毛皮像を再解釈した。1965年に考案した二重の「FF」モノグラム(“Fun Fur”の意)をブランドの視覚記号として定着させ、1977年にはレディ・トゥ・ウェアを立ち上げて毛皮中心のメゾンから総合的なラグジュアリーハウスへの領域拡張を推進した。また2015年に始まる『Haute Fourrure』と称する毛皮主体のオートクチュール的プレゼンテーションでは職人技と舞台演出を結びつけ、フェンディのクラフツマンシップを国際舞台へと提示した。創業家メンバー、特にシルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディらとの共同作業を基盤に、ブランドの素材革新とアイデンティティ形成を約54年にわたって牽引した。

在任期

1965年にフェンディのクリエイティブに招かれ、当初は毛皮の刷新を任されて就任した。1977年にレディ・トゥ・ウェアを立ち上げてウィメンズクリエイションの領域を拡大し、以後フェンディのファーとウィメンズを中心に活動を継続した。2019年2月19日に死去するまでの在任期間は約54年間に及んだ。

影響

毛皮を単なるステータス記号から扱いやすいラグジュアリー素材へと位置づけ直し、FFモノグラムで視覚的アイデンティティを強化した点が最大の影響。レディ・トゥ・ウェア導入とHaute Fourrureの舞台化を通じて職人技と演出を結びつけ、フェンディを毛皮専門工房から国際的な総合ラグジュアリーハウスへ変貌させた。

Patouとの関わり

1958 - 1963

デザイナー

Jean Patouにおける立場・在任文脈・担当領域: 1958年から1963年にかけてJean Patouのアーティスティックディレクター(デザイナー)としてオートクチュールのコレクション制作を主に担当した。 在任中はハウスのクチュール的伝統を受け継ぎつつ、若手デザイナーとしてシルエットの現代化を試みた。通常のオートクチュール・サイクルに沿って年複数回のコレクションを手がけ、初期には「Roland Karl」の名義で発表したコレクションや、首元やバックカットの大胆さ、短めのスカートなどが話題となり、当時の報道は賛否両論であった(いわゆる「K」と呼ばれるシルエットに関する記述を含む)。 こうした仕事はラガーフェルド本人にとって技術と表現を磨く重要な場となり、クチュールの技法を保ちながらより実用的で若向きのラインを模索する過程が見られた。一方で在任期間は短く、パトゥそのものの長期的なブランド方針を決定的に書き換えたという評価は限定的である。1963年の退任後、ラガーフェルドはフリーランスへ転じ、プレタポルテや他ブランドとの協働へ軸足を移した。

在任期

1958年にJean Patouのアーティスティックディレクターに就任し、1963年までオートクチュール部門を主導した期間。ハウスのクチュール制作を継承しつつ若年期の実験的なシルエット導入や年複数回のコレクション制作を行い、在任後半は並行して外部ブランドの仕事も増やした。1963年の退任は自身の制作重心をプレタポルテ/フリーランスへ転換する契機となった。

影響

ブランドへの影響は二面性を持つ。パトゥ在任はラガーフェルドのデザイナーとしての力量とモダンな感覚を育む重要な初期実践となり、短めスカートや前後の線を強調するシルエットなど、クチュールに一定の刷新をもたらした例が確認される。一方で在任期間が短く、パトゥの長期的アイデンティティを根本から変えたと断定できる十分な裏付けは乏しい。退任後の彼の活動がファッション業界に与えた影響の方が長期的効果として大きい。

関連ブランド

関わったグループ

在任中のコラボレーション

2004.11

Karl Lagerfeld H&M

H&M初のデザイナーコラボとしてKarl Lagerfeldと協業。黒白のテーラード、ニット、Tシャツ、限定フレグランスなど多彩なウィメンズ・メンズアイテム展開。

2018.10

Fendi FILA

FILAとの第2波コラボ。“FENDI MANIA”ロゴでRTW、バッグ、フットウェア、ウォッチ等を大規模展開。

2018.06

Fendi RIMOWA

RIMOWAとの第2弾。ブルーやレッドなど新色ディテールを追加したコラボキャビンケースを発表(発売日は不明)。

2018.02

Fendi FILA

FILAとFENDIのロゴを融合した初カプセル。“FENDI/FILA”ロゴのウェアやアクセサリー等を発表、ショーでも披露。

2017.11

Fendi RIMOWA

RIMOWAとの初コラボ。FFロゴやCuoio Romanoレザーハンドルを備えた限定アルミキャビンスーツケース。パーソナライズ要素も持つ。

2006.12

Fendi Moncler

2006年12月、FendiのアイコニックなSpy BagをMonclerがダウン入りにした限定バッグを500点発売。コレクターズアイテム化した。

関連する人物

CHANEL

2025 - 継続中または終了年不明

マチュー・ブレイジー

アーティスティック・ディレクター

マチュー・ブレイジーについて

フランス系ベルギー出身のファッションデザイナー/シャネル アーティスティック・ディレクター(拠点:パリ)。

マチュー・ブレイジーは、1984年生まれのフランス・ベルギー両国の背景を持つファッションデザイナーで、パリを拠点に活動する。ラ・カンブルでファッションを学び、ラフ・シモンズのもとでプロとしての基礎を築いた後、メゾン・マルジェラ、セリーヌ、カルバン・クラインなどで要職を歴任。2020年にボッテガ・ヴェネタのプレタポルテ部門のデザイン責任者に就き、2021年にクリエイティブ・ディレクターに昇格して素材実験と職人技を軸にしたコレクションで評価を高めた。チーム運営は協調的で職人との直接的協働を重視し、日常性とクラフト性を両立させる制作姿勢が特徴。2024年12月にシャネルのアーティスティック・ディレクター就任が発表され、ハウスのアーカイブやメティエダールの技術を取り込んだ包括的な創作を進めている。

Matthieu Blazy

2019 - 2024

ヴィルジニー・ヴィアール

アーティスティック・ディレクター

ヴィルジニー・ヴィアールについて

フランス出身のファッションデザイナー/CHANEL元アーティスティック・ディレクター(パリ拠点)

フランス出身でパリを拠点とするファッションデザイナー。CHANELのアーティスティック・ディレクターを務め、メゾンのコレクション制作とアトリエ運営を主導した人物。リヨンの専門校で舞台・映画衣装を学び、衣装助手として現場経験を積んだ後、1987年にCHANELのオートクチュール刺繍部門に研修生として参加しアトリエワークを基盤にキャリアを築いた。カール・ラガーフェルドの側近として長年制作を支え、1997年にオートクチュールスタジオの責任者に就任、以降メゾンの複数ラインを統括する立場を担った。2019年にアーティスティック・ディレクターに昇格し、伝統を尊重しつつ着やすさと職人の手仕事を重視するコレクションを展開。2024年6月に退任した。映画衣装のクレジットとして『Three Colours: Blue/White』等がある。

Virginie Viard

1988 - 2007

ロレンツ・バウマー

アーティスティック・ディレクター

ロレンツ・バウマーについて

ジュエリーデザイナー/メゾン創業者・ディレクター(パリ拠点)

フランスを拠点に活動するジュエリーデザイナーで、パリ・ヴァンドーム広場19番地にメゾンを構える創業者兼ディレクター。1965年ワシントンD.C.生まれで、外交官である父の赴任先を転々とするなか15歳でパリへ移住し学業を修めた。エコール・サントラル・パリで工学とデザインを学んだ後、1988年にジュエリー制作を始め、1992年に自身のメゾンを設立。シャネルのジュエリー制作を長年手掛けた後、2007年にルイ・ヴィトンのジュエリー部門アーティスティック・ディレクターに就任し、同社で複数のコレクションを発表した。2010年のモナコ王室のティアラ制作や2013年のヴァンドーム19番地でのブティック開設を経て、隕石や香りを組み込むチタニウム、ダイヤモンドの新技法など素材・技術の実験を通じた作品発表を続けている。

Lorenz Bäumer

1975 - 1982

フィリップ・ギブールジェ

アーティスティック・ディレクター

フィリップ・ギブールジェについて

フランス出身のファッションデザイナー。DiorでMiss Diorの既製服を立ち上げ、Chanelでレディ・トゥ・ウェアのアーティスティックディレクターを務めた

フランス出身のファッションデザイナー。フォンテーヌブロー生まれ、主にパリを拠点に既製服の開発とメゾンのライン構築を手がけた。15歳で服づくりを始め、ジャック・ファスやランバンでの修業を経て1960年にクリスチャン・ディオールに入社し、マーク・ボアンのもとでアシスタントを務めた。ディオールではブティック向けのコリフィシェ(Colifichets)やライセンス商品のスタジオを統括し、1967年に若年層を想定した既製服ライン『Miss Dior』を立ち上げてメゾンの既製服事業を拡張した。のちにシャネルに移り、パルファン部門が設けた『Création Chanel』のアーティスティック・ディレクターとしてレディ・トゥ・ウェアの立ち上げと流通拡大に携わり、1982年に退任して自身のブランドを設立した。手がけたアイテムはドレス、スーツ、コートからアクセサリーまで幅広く、メゾンの伝統を保ちつつ日常着としての実用性を重視したデザインが特徴。その活動はメゾンの既製化における重要な一章と位置づけられることがある。生没年:1931年7月22日–1986年3月7日。

Philippe Guibourgé

1910 - 1971

ガブリエル・ボヌール・シャネル

デザイナー

ガブリエル・ボヌール・シャネルについて

フランスのファッションデザイナー、メゾン・シャネル創設者。パリ拠点の20世紀モードの先駆者

フランスのファッションデザイナー、メゾン・シャネル創業者。パリを拠点に活動し、20世紀の女性服を根本から変えたガブリエル・ボヌール・シャネル(通称ココ・シャネル、1883年8月19日—1971年1月10日)。幼少期に修道院系の寄宿学校で裁縫の基礎を学び、1910年代に帽子店から事業を開始して婦人服へと展開。ジャージー素材を用いた動きやすい実用服、リトルブラックドレスの定着、襟なしのジャケットとスカートから成るシャネル・スーツの創出、コスチュームジュエリーの普及などを通じて装飾過多を排した簡潔で機能的な美学を提示した。1921年にシャネル No.5を発売して香水市場にも影響を与え、1939年の一時休業後に1954年に復帰してモード界への影響力を再確認した。彼女のデザインは男性服の要素やスポーティな意匠を取り入れて女性の自立に沿う機能性を重視した点が特徴。コスチュームジュエリーやツイード素材、チェーンハンドルのバッグやバイカラーの靴など多くのプロダクトを定着させた。シャネルは長年ホテル・リッツを居所とし、31番地ル・カンボンのサロンをブランド拠点として経営と創作を行った。没後もメゾンは世界的ブランドとして継承されている。

Gabrielle Bonheur Chanel

Fendi

2025 - 継続中または終了年不明

マリア・グラツィア・キウリ

クリエイティブ・ディレクター

マリア・グラツィア・キウリについて

ファッションデザイナー。フェンディ チーフクリエイティブオフィサー(元ディオール ウィメンズ責任者)。

マリア・グラツィア・キウリはイタリア・ローマ出身のファッションデザイナー。1964年2月2日生まれ。ローマのイストゥトゥート・ヨーロッパ・ディ・デザイン(Istituto Europeo di Design)で学んだ後、フェンディでバッグデザインに携わり、1999年にヴァレンティノへ移籍。2008年からはピエルパオロ・ピッチョーリと共同でクリエイティブディレクターを務め、2016年にクリスチャン・ディオールのウィメンズコレクション責任者に就任して同メゾンで初の女性トップデザイナーとなった。ディオール在任中はフェミニズムをテーマにしたコレクションやアーティストとの協働で注目を集め、サドルバッグの復刻や写真集『Her Dior』の刊行を通じて商業的・文化的な影響を残した。2025年にはフェンディへ帰還しチーフクリエイティブオフィサーに就任した。伝統的な職人技と現代的な文化的メッセージを結びつける表現が特徴である。

Maria Grazia Chiuri

2020 - 2024

キム・ジョーンズ

アーティスティック・ディレクター

キム・ジョーンズについて

イギリス出身のファッションデザイナー。元ディオール・メンとフェンディのアーティスティックディレクター

キム・ニクラス・ジョーンズ(Kim Niklas Jones、1973年9月11日生まれ)は、ロンドン出身のイギリス人ファッションデザイナーで、メンズウェアの刷新とメゾン文化の現代化を得意とするクリエイターです。カンバウェルでグラフィックと写真を学び、中央聖マーチンズでメンズウェアを専攻してキャリアを開始。卒業後は自身の名義ブランドを立ち上げ、ダンヒルのクリエイティブディレクターを経てルイ・ヴィトンでメンズの表現を拡張し、2018年からディオール・メンのアーティスティックディレクターを務めました。ストリートカルチャーとラグジュアリーを接続するコラボレーション(例:ルイ・ヴィトン×シュプリーム)や、アーティストとの共同プロジェクト、BTSなどの舞台衣装制作、さらにはディオール・メンでのメンズ・オートクチュール導入など多面的な仕事で注目を集めています。公的な栄典として2020年にOBEを受章し、2025年にはフランスのレジオン・ドヌール(シュヴァリエ)を受けています。

Kim Jones

Patou

1982 - 1987

クリスチャン・ラクロワ

アーティスティック・ディレクター

クリスチャン・ラクロワについて

フランス出身のオートクチュールデザイナー/舞台衣装家。パリ拠点。

フランス出身のファッションデザイナー。オートクチュールと舞台衣装を主な領域に、パリを拠点に活動する。モンペリエで美術史を学び、パリのソルボンヌとエコール・デュ・ルーヴルで博物館学・服飾史を学んだ。 エルメスやジャン・パトゥで実務経験を積んだ後、1987年に自身のオートクチュールハウスを設立しフィナンシエール・アガシェの出資を受けて注目を集めた。 作風は鮮烈な色彩と豊かな装飾性、手刺繍やビーズワークを多用する舞台的表現が特徴で、民族的・歴史的モチーフを大胆に組み合わせる点で知られる。 2000年代以降は商業構造の変動を経て舞台衣装制作や展覧会、ブランドとのコラボレーションを中心に活動を続けている。

Christian Lacroix

1954 - 1958

マルク・ボアン

デザイナー

マルク・ボアンについて

フランスのオートクチュールデザイナー。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクター(1960–1989)。

マルク・ボアン(Marc Bohan、1926年8月22日 - 2023年9月6日)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを長年務めた人物です。端正で抑制の効いたエレガンスと精緻なテーラリングを信条とし、女性の身体を美しく見せるスリムなシルエットで知られます。1950年代にロベール・ピゲ、エドワール・モリュー、ジャン・パトゥーらのもとで修業し、1958年にディオールのロンドン部門に参加。1960年に本店のクリエイティブディレクターに就任して以降、ベビーラインやメンズラインの立ち上げなどハウスの事業展開にも関わりつつ、グレース・ケリーやエリザベス・テイラー、イラン皇后ファラー・パフラヴィなど国際的な顧客に愛用されました。穏やかな人物像と実用性を重んじる服作りでディオールの伝統を長年支え、1989年の退任後はロンドンで活動を続けました。

Marc Bohan

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