在任期
カール・ラガーフェルド
Karl Lagerfeld
ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター(パリ拠点)
カール・ラガーフェルドについて
Karl Lagerfeldは1933年9月10日生まれのドイツ出身でパリを拠点に活動したファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター。1950年代から2019年までの半世紀以上にわたりシャネル、フェンディ、クロエなどで表現を再構築し、メゾンの近代化と商業的成功に寄与した。幼少期にパリで美術と歴史を学び、1954年の国際ウール賞で頭角を現してピエール・バルマンのアシスタントとして業界入りした。1958年以降はジャン・パトゥやクロエのコレクションを手がけ、1965年にフェンディの創造的指導を担って同社の毛皮とレザー部門を刷新した。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに就任してブランドの現代化を牽引し、1984年に自身の名を冠したレーベルを設立した。スケッチや写真、舞台演出まで含むビジュアル制作に深く関与し、黒のサングラスと白髪、ハイカラーの装いが象徴となった。2019年2月19日に逝去。
キャリアタイムライン
カール・ラガーフェルドとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。
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ブランド / 役職
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2014
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2017
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2018
19
2019
経歴
1950年代に国際ウール賞を受賞して業界に登場後、ピエール・バルマンのアシスタントを経て1958年にジャン・パトゥのアーティスティック・ディレクターを務めた。1960年代以降はクロエのコレクションに関わり、1965年にフェンディのクリエイティブ・ディレクターに就任して2019年まで同社の毛皮とレザー部門を刷新する長期的な関係を築いた。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに迎えられ、伝統的要素を参照しつつブランドを現代的に再構築して国際的な成功へ導いた。1984年に自身の名を冠したレーベルを立ち上げ、写真・舞台・出版など多面的な表現活動を通じてメゾンとパーソナルブランド双方に長期的な影響を残した。
Karl Lagerfeldとの関わり
1984 - 2019
デザイナー
ブランド「Karl Lagerfeld」における立場は、創設者兼メインデザイナーとして自身の名前を冠したプレタポルテハウスのクリエイティブを統括した人物。1984年にパリでネームブランドを立ち上げ、シャネルやフェンディでの主要な職務と並行して個人の美学とビジネス展開を直に反映する場を構築した。伝統的なモードのコードを現代の着用性へと翻訳し、ニットやアクセサリー、香水、書籍・写真集など多岐にわたるカテゴリへデザインを拡張した点が特徴。ラガーフェルド自身が写真家・ヴィジュアルディレクターとして広告やキャンペーンを手がけ、ブランドのビジュアル・トーンを一貫して監修したことで、商品とメディアを横断する総合的なブランド表現を実現した。またフラッグシップ店舗やディフュージョンライン、ライセンス展開を通じてラグジュアリーとより手頃な価格帯を横断する商業モデルを育て、個人の署名性と国際的流通網を結びつけるブランド像を確立した。2019年の死去までネームブランドのクリエイティブ上の中心を務めた。
CHANELとの関わり
1983 - 2019
アーティスティック・ディレクター
CHANELにおけるアーティスティック・ディレクターとして、1983年に就任してから2019年2月19日の死去まで約36年間、オートクチュールとプレタポルテ両面のクリエイティブを統括する立場でメゾンを牽引した。 就任当初は創業者ガブリエル・“ココ”・シャネル没後の保守化と商業的停滞という課題を抱えていたが、ラガーフェルドはメゾンの膨大なアーカイブに残る視覚的記号を抽出し、ツイードやキルティング、カメリア、パール、ツートンシューズといったコードを継承しながら繰り返し再解釈する手法を導入してブランドの核心を再構築した。 デザイン面にとどまらず、巨大な舞台装置を用いたテーマ性の強いファッションショーの演出、広告ヴィジュアルの自らの撮影、店舗やディスプレイを含めたイメージ統括までトータルにコントロールすることでシャネルの視覚的言語を一貫させ、結果として高頻度のコレクション制作と派手な演出による強い露出を実現した。 イネス・ド・ラ・フレサンジュらのミューズ起用や著名モデルの戦略的活用も進め、同時期にフェンディや自身のブランドでも制作を継続する多面的な活動を通じてモード界への影響力を拡大した。 社内ではクリエイティブ・スタジオの運営体制を構築し、イメージ担当や職人技術(メティエ)チームと連携して広告・イベント・流通面を結びつけたことも長期的な継続性の礎となり、死去後は長年の右腕ヴァージニー・ヴィアールが創作の実務を引き継いだ点でメゾンの連続性が保たれた。
在任期
1983年にシャネルのクリエイティブ責任者(アーティスティック・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター)として就任し、以後2019年2月19日の死去まで約36年間にわたりメゾンのコレクション制作とイメージ戦略を実務的に統括した。就任はウォルトハイマー家による招聘で、晩年はスタジオ長ヴァージニー・ヴィアールとの共同作業が増え、死去後はヴィアールが創作の実務を引き継いだ。
Chloéとの関わり
1975 - 1983
デザイナー
カール・ラガーフェルドは、1975年1月にクロエの専属デザイナーに就任し、1983年までメゾンのウィメンズプレタポルテとブランド表現を主導した。1960年代に創業者ガビー・アギオンのもとで若手デザイナーとして関わり始め、アギオンの「高級プレタポルテ」志向を受け継ぎつつ、より演出的で時代性のあるレディトゥウェアへと再解釈した。在任期にはフルー(flou)と呼ばれる柔らかなシルエット、薄手シルクのドレス、ケープや繊細なレース使いといった造形をブランドの主要表現に定着させたことが特徴。1966年のテルトゥリアや1973年のラフマニノフといったドレスをはじめ、1982–83年頃には音楽や小道具をモチーフにした遊びのある刺繍(ヴァイオリンやハサミのモチーフなど)を導入し、コレクションの舞台性を強めた。専属化以降はモデルやイラストレーターらを巻き込んだヴィジュアル演出で若々しいブランド像を形成し、1975年の初のフレグランス発売など商業展開の進展とも同期した。1983年の離脱は活動の転換点となり、以後シャネルでの活動が中心となるが、1992年からの一時復帰も含めて複数期にわたる関係性がある。
在任期
Fendiとの関わり
1965 - 2019
アーティスティック・ディレクター
カール・ラガーフェルドは1965年にフェンディのアーティスティック・ディレクターとして迎えられ、主にファー(毛皮)を核としたウィメンズコレクションのクリエイティブを長期にわたり統括した。創業家が保持してきた職人技と毛皮素材の知見を継承しつつ、毛皮を“布”として薄く・軽く扱う発想や、細く切った毛皮を織り合わせる加工、レザーとの組み合わせなどの技術で従来の重厚な毛皮像を再解釈した。1965年に考案した二重の「FF」モノグラム(“Fun Fur”の意)をブランドの視覚記号として定着させ、1977年にはレディ・トゥ・ウェアを立ち上げて毛皮中心のメゾンから総合的なラグジュアリーハウスへの領域拡張を推進した。また2015年に始まる『Haute Fourrure』と称する毛皮主体のオートクチュール的プレゼンテーションでは職人技と舞台演出を結びつけ、フェンディのクラフツマンシップを国際舞台へと提示した。創業家メンバー、特にシルヴィア・ヴェントゥリーニ・フェンディらとの共同作業を基盤に、ブランドの素材革新とアイデンティティ形成を約54年にわたって牽引した。
在任期
Patouとの関わり
1958 - 1963
デザイナー
Jean Patouにおける立場・在任文脈・担当領域: 1958年から1963年にかけてJean Patouのアーティスティックディレクター(デザイナー)としてオートクチュールのコレクション制作を主に担当した。 在任中はハウスのクチュール的伝統を受け継ぎつつ、若手デザイナーとしてシルエットの現代化を試みた。通常のオートクチュール・サイクルに沿って年複数回のコレクションを手がけ、初期には「Roland Karl」の名義で発表したコレクションや、首元やバックカットの大胆さ、短めのスカートなどが話題となり、当時の報道は賛否両論であった(いわゆる「K」と呼ばれるシルエットに関する記述を含む)。 こうした仕事はラガーフェルド本人にとって技術と表現を磨く重要な場となり、クチュールの技法を保ちながらより実用的で若向きのラインを模索する過程が見られた。一方で在任期間は短く、パトゥそのものの長期的なブランド方針を決定的に書き換えたという評価は限定的である。1963年の退任後、ラガーフェルドはフリーランスへ転じ、プレタポルテや他ブランドとの協働へ軸足を移した。
在任期
1958年にJean Patouのアーティスティックディレクターに就任し、1963年までオートクチュール部門を主導した期間。ハウスのクチュール制作を継承しつつ若年期の実験的なシルエット導入や年複数回のコレクション制作を行い、在任後半は並行して外部ブランドの仕事も増やした。1963年の退任は自身の制作重心をプレタポルテ/フリーランスへ転換する契機となった。
関わったグループ
所属や関係のあるファッショングループを、関連ブランドとあわせて確認できます。
在任中のコラボレーション
この人物が関わった期間に確認できるブランド間コラボレーションです。
2004.11
Karl Lagerfeld H&M
H&M初のデザイナーコラボとしてKarl Lagerfeldと協業。黒白のテーラード、ニット、Tシャツ、限定フレグランスなど多彩なウィメンズ・メンズアイテム展開。
関連情報
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