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クリスチャン・ラクロワ

Christian Lacroix

フランス 1951 現在

フランス出身のオートクチュールデザイナー/舞台衣装家。パリ拠点。

最終更新日: 2026.03.13

クリスチャン・ラクロワについて

フランス出身のファッションデザイナー。オートクチュールと舞台衣装を主な領域に、パリを拠点に活動する。モンペリエで美術史を学び、パリのソルボンヌとエコール・デュ・ルーヴルで博物館学・服飾史を学んだ。 エルメスやジャン・パトゥで実務経験を積んだ後、1987年に自身のオートクチュールハウスを設立しフィナンシエール・アガシェの出資を受けて注目を集めた。 作風は鮮烈な色彩と豊かな装飾性、手刺繍やビーズワークを多用する舞台的表現が特徴で、民族的・歴史的モチーフを大胆に組み合わせる点で知られる。 2000年代以降は商業構造の変動を経て舞台衣装制作や展覧会、ブランドとのコラボレーションを中心に活動を続けている。

キャリアタイムライン

クリスチャン・ラクロワとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。

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Patou アーティスティック・ディレクター 1982 - 1987
Christian Lacroix デザイナー 1987 - 2009
Emilio Pucci アーティスティック・ディレクター 2002 - 2005

経歴

モンペリエ大学で美術史を専攻し、その後パリのソルボンヌおよびエコール・デュ・ルーヴルで博物館学と服飾史を履修した記録がある。18世紀絵画に描かれた服飾を主題とする論文を準備した経歴が確認できる。
1978年にエルメスでアクセサリーのアシスタントとして業界入りし、1980年代初頭にはギー・ポランの下でアクセサリーを手掛け、1981年にジャン・パトゥでオートクチュールの実務を経験した。 1987年にフィナンシエール・アガシェの出資で自身のオートクチュールハウスを設立し、「ル・プフ」と呼ばれるバルーンスカートなど劇的なシルエットと手仕事の装飾で国際的な評価を得た。 1990年代から2000年代にかけて香水やアクセサリー、各種ライセンス事業を拡大したが採算面で苦戦し、LVMH系からの売却後に経営が不安定化、2009年に会社は管財手続に入った。最後のオートクチュールコレクションは本人が私費で発表した。 2002年から2005年はエミリオ・プッチのアーティスティックディレクターを務め、2004–2005年頃にはエールフランスの制服デザインや列車内装など多分野のプロジェクトを手掛けた。 2009年以降は舞台衣装制作、展覧会出品、ブランドや企業とのコラボレーション(例:デシグアル等)を中心に活動を続けている。

Emilio Pucciとの関わり

2002 - 2005

アーティスティック・ディレクター

エミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターとして2002年に就任し、コレクション全体のクリエイティブを統括した立場。プッチのアイコニックなスワールやサイケデリックなプリント、鮮烈な色彩といった遺産を受け継ぎつつ、クリスチャン・ラクロワ自身の舞台的で装飾的な美学を重ねて再解釈する方向性を打ち出した。在任中はアーカイブ柄を積極的に参照してモダンなウエアに翻案し、素材やトリミングで光沢や金属的効果を添えてプリントの視覚的インパクトを強めた。ランウェイではワンショルダーのチュニックやタイトなレギンスなどややフェミニンでドラマ性の高いシルエットを導入し、プッチらしい色彩感覚をラクロワ流に演出した。最初のコレクションは2002年秋のミラノで発表され高い注目を集め、在任中は自ブランドの活動を並行して継続しつつプッチの表現を舞台的に再編集した点が特徴となる。

在任期

就任は2002年に公表され、同年秋にミラノで初のプッチコレクションを発表したことから2002年シーズンより本格的にデザインを手がけた。約3年間の在任期間を経て2005年に退任し、在任期間中は自身のレーベル活動とプッチの両立が続いた点が特徴となる。就任から退任までの期間はメディアや資料によって表記に差があるため「2002年〜2005年」という整理が一般的。

影響

デザイン面ではプッチの象徴的なプリントをラクロワ流に強調・再構築することでランウェイでの話題性を高め、若い層を含む注目を再喚起したと評価される。一方で商業面については報道にばらつきがあり、在任以降の売上が「倍増した」とする記述と「数倍に伸びた」とする記述が混在するため具体的数値は出典により差があると整理される。総じて、在任期はプッチのクリエイティブな再活性化とメディアでの露出増加に寄与した時期と位置づけられる。

Christian Lacroixとの関わり

1987 - 2009

デザイナー

メゾン Christian Lacroix の創業デザイナー兼クリエイティブリーダーとして、1987年の設立以降から2009年の経営整理に至るまでブランドの美学と商品構成の中核を担った。在任中はオートクチュールを軸に、18世紀的な歴史的引用や民族的モチーフ、豊かな刺繍やフリンジなどの手仕事、強烈な色彩の重ね使いを特徴とする劇場的で装飾的な美学を明確に提示し、ル・プフ(le pouf)に象徴されるシルエットなどでメゾンの視覚的アイデンティティを確立した。商業面では1988年以降にプレタポルテやアクセサリー、バッグ、香水などのライン拡張とライセンス展開を進め、海外ブティックや小売チャネルを通じて国際的プレゼンスを拡大した。また舞台衣裳やオペラ衣装など舞台芸術分野やインテリアといったファッション外部のプロジェクトにも関与し、デザイン表現の領域を多角化した。一方で手仕事中心のクチュール志向と高コスト体質が商業的持続性の障壁となり、2009年の法的整理・事業再編によってオートクチュールと大規模なプレタポルテ活動は縮小し、以後は主にライセンス中心の運用へ移行した。

在任期

1987年に自身の名を冠したメゾンを創設して初のオートクチュールを発表し、その後まもなく(1988年以降)プレタポルテや関連ラインを導入して商品展開を拡大した。1990年代に国際的な認知を高めた一方で、2008〜2009年の業績悪化を受けて2009年に法的整理・事業再編が行われ、オートクチュールと大規模プレタポルテは縮小、ブランドはライセンス中心へと移行した。

影響

ラクロワによる劇場的で装飾的な美学は1990年代に装飾性の復権を促し、編集的表現や舞台衣裳、商業ライセンス領域にまで影響を及ぼした。豊かな色彩と手仕事を重視するビジュアルはメゾンの識別子となり、ブランドの文化的存在感を高めた一方で、クチュール依存のビジネスモデルが収益化の障害となり、最終的に2009年の構造的見直しを招いた。

Patouとの関わり

1982 - 1987

アーティスティック・ディレクター

Jean Patou(パトゥ)におけるアーティスティック・ディレクターとして、クチュール・コレクションのデザイン統括と発表演出を主導した立場。若い経営陣のもとで1980年代前半に招聘され、Patouが保有するアーカイブと職人技を継承しつつ、歴史的要素を大胆に再解釈する方向へ舵を切った。プロヴァンス由来の色彩感覚や民俗的モチーフ、19世紀のバッスルやパフの語法を現代的に組み直し、ポフ(pouf)スカートやバルーン状ドレス、短めのヘムと重層的なパニエ構造といった演劇的なシルエットを確立した。刺繍・フリンジ・ビーズ・染色ミンクなどの手仕事を積極的に取り入れ、コレクションを舞台的に見せることでパトゥのクチュールに国際的な注目を回復させた点が在任期の特徴。こうした評価と商業的注目が1987年のラクロワ自身のメゾン設立へとつながり、ブランド側にも事業構造上の変化をもたらした。

在任期

在任期間について資料に差異があり(1981年説/1982年説が混在)概ね1980年代前半から1987年までJean Patouのクチュールを率いたとされる。若い当主の要請で招聘され、創作の自由を与えられてコレクション制作を行ったのち、1987年に独立して自らのオートクチュール・メゾンを立ち上げたことが在任終期の重要な転換点となり、以降パトゥのオートクチュール活動には大きな変化が生じた。

影響

在任中は演劇的で色彩豊かな美学と高い職人工芸性を前面に出すことでパトゥの視認性を大きく回復させ、1980年代のファッション潮流に強い影響を与えた。ポフスカート等の新しいシルエットがラクロワのシグネチャーとなり、批評・小売の関心を惹きつけたことがその後の商業展開と独立につながった。また彼の離脱はパトゥ側の事業構造見直しやオートクチュール事業の縮小を促す要因にもなった。

関連ブランド

関わったグループ

関連する人物

Emilio Pucci

2021 - 継続中または終了年不明

カミーユ・ミシェリ

アーティスティック・ディレクター

カミーユ・ミシェリについて

エミリオ・プッチ アーティスティック・ディレクター(イタリア拠点、レディトゥウェア/アクセサリー担当)。

エミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクター。イタリア拠点でレディトゥウェアとアクセサリーを横断するデザイン実務を行う、フランス系とイタリア系のルーツを持つデザイナー。アズディン・アライアでのインターンシップを契機にシャネルのPRで業界入りし、その後ルイ・ヴィトンでコミュニケーション業務からジュエリーやアクセサリーのクリエイティブへ転身した。クリスチャン・ディオールではファッションジュエリーのクリエイティブディレクターを務め、2014年にルイ・ヴィトンへ復帰してアクセサリー部門を統括した後、2021年9月にプッチのアーティスティック・ディレクターに就任した。就任後は伝統的なプリントと色彩を現代へ翻訳することを中心に、カプセルやリゾート展開、体験型イベントを通じてアーカイブの再解釈と商業性の両立を図る作風を打ち出した。

Camille Miceli

2015 - 2017

マッシモ・ジョルジェッティ

クリエイティブ・ディレクター

マッシモ・ジョルジェッティについて

ファッションデザイナー/MSGM創業者・クリエイティブ・ディレクター(ミラノ拠点)

イタリア出身のファッションデザイナー。MSGMの創設者兼クリエイティブ・ディレクターで、ミラノを拠点に活動する。1977年チェゼーナ生まれ。会計を学んだ後、リミニのブティックで販売員としてキャリアを始め、DJや音楽・現代アートへの関心をデザインに取り込む形で歩む。2009年にパオローニグループと共同でMSGMを設立し、鮮烈な色彩とグラフィックなプリント、ストリートのエネルギーとイタリアンテーラリングを融合したスタイルで注目を集めた。ヴォーグの新人発掘企画で評価され、2013年にミラノ・ブレラに旗艦店を開設。2015年にエミリオ・プッチのクリエイティブ・ディレクターに就任し、2017年に離任した後はMSGMのプロダクト拡充と国際展開、アーティストやブランドとのコラボレーションを軸に事業を拡大している。

Massimo Giorgetti

2008 - 2015

ピーター・ダンダス

アーティスティック・ディレクター

ピーター・ダンダスについて

ノルウェー出身のファッションデザイナー。DUNDAS創業者兼クリエイティブディレクター、Emilio PucciやRoberto Cavalliでのクリエイティブ実績を持つ。

ノルウェー出身のファッションデザイナー、国際的に活動するクリエイティブディレクター。パーソンズ(Parsons School of Design)でファッションを学び、1992年にパリへ渡ってジャン=ポール・ゴルチエのもとで長年アシスタントを務めて裁断・仕立て・プリント表現の技術を磨いた。2000年代初頭にロベルト・カヴァッリのチーフデザイナーを務め、エマニュエル・ウンガロを経て2008年頃からエミリオ・プッチのアーティスティックディレクターとしてブランドの若返りとプリント表現の再構築を推進。2015年にロベルト・カヴァッリのクリエイティブディレクターに就任し、2017年にパートナーのエヴァンジェロ・ブーシスと共にDUNDASを立ち上げた。作風は女性のフォルムを強調するグラマラスで官能的なイブニングウェアと色彩豊かなプリントが特徴で、グラミー賞や主要レッドカーペットの衣装制作など舞台衣装でも実績を持ち、オンライン中心のノンシーズン運営を採用したビジネスモデルでも注目を集める。

Peter Dundas

2005 - 2008

マシュー・ウィリアムソン

クリエイティブ・ディレクター

マシュー・ウィリアムソンについて

イギリス出身のファッション・インテリアデザイナー、ブランド創業者、元エミリオ・プッチ クリエイティブ・ディレクター

イギリス出身のファッション/インテリアデザイナー。ロンドンでファッションキャリアを築き、色彩豊かなプリントや刺繍、ビーズを多用した装飾的なシルエットと華やかなイブニングウェアで国際的に知られる。セントラル・セント・マーチンズでファッションとテキスタイルを学んだ後、ジョセフ・ヴェロサとともに1996–1997年に自身のブランドを立ち上げ、1997年のデビューコレクション「Electric Angels」で注目を集めた。2005年にエミリオ・プッチのクリエイティブ・ディレクターを務め、2007年にはロンドンのデザインミュージアムで10年回顧展が開催された。以降は旗艦店やライセンス展開を経て活動領域を拡大し、近年は壁紙・照明・家具などインテリアやライフスタイルのプロジェクトと書籍刊行を柱に創作を続け、拠点の一部をマヨルカ島デイアに移している。

Matthew Williamson

2000 - 2002

フリオ・エスパダ

アーティスティック・ディレクター

フリオ・エスパダについて

ファッションデザイナー/アーティスト。プエルトリコ出身、ニューヨークを拠点。エミリオ・プッチ元アーティスティック・ディレクター。

プエルトリコ出身のファッションデザイナー兼アーティスト。1955年生まれと記録され、1970年代後半からニューヨークを拠点に自身の名を冠したブランド「Julio」を展開した。1980年にはMoMA PS1のファッション展『Fashion (Winter 1980–1981)』に出品され、商業流通や百貨店での取り扱いを経て美術館コレクションに所蔵される仕事を残す。2000年10月にエミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターに就任し、2001〜2002年のコレクションでプッチのプリントと色彩を現代的に再解釈した表現を発表した。デザインは鮮烈な色彩とグラフィックなプリント、ジェルシーやカットソー素材の機能的な扱いを特徴とし、その後は絵画やデジタルドローイングなどアート領域での展覧を中心に制作を継続する。

Julio Espada

1998 - 1998

ステファン・ジャンソン

デザイナー

ステファン・ジャンソンについて

フランス出身、ミラノ拠点のファッションデザイナー/メゾン創設者・クリエイティブディレクター

フランス出身、ミラノ拠点のファッションデザイナー。パリの服飾教育を経てKenzoのアトリエで実務を積み、1980年代にDiane von Furstenbergの招きでニューヨークでライセンス業務やコレクションのディレクションを担当した。1989年にミラノでメゾンを立ち上げ、Via Goldoniのブティック兼アトリエを拠点に“couture‑à‑porter”を掲げ、高品質なイタリア製素材と丁寧な仕立てを軸に少量生産で服を届ける。造形は斜め裁ちや流れるドレープを基調とし、南仏やマグレブの色彩感覚を取り込んだ洗練された日常性とエレガンスが特徴。編集・展覧分野にも活動領域を広げ、誌面や共著、展覧会の企画にも携わる。

Stephan Janson

1992 - 2000

ラウドミア・プッチ

クリエイティブ・ディレクター

ラウドミア・プッチについて

フィレンツェ拠点のファッション実業家・アーカイブキュレーター、元Emilio Pucci副会長兼イメージディレクター

フィレンツェを拠点とするイタリアのファッション実業家・アーカイブキュレーター。LUISS(ローマ)で経済・政治を学び、卒業後にパリのメゾン、ユベール・ド・ジバンシィでレディトゥウェアとアクセサリーの実務を経験したのち、1985年に家業のエミリオ・プッチに参加。父エミリオの死後はブランド運営とクリエイティブの両面を担い、1990年代から2000年代にかけてコレクション再編と国際展開を推進した。2000年のLVMHとの資本提携を交渉し副会長兼イメージディレクターに就任、ヴィジュアル戦略とブランドの近代化を主導した。2011年には一部アーカイブをヴィッラ・ディ・グラナイオロに移し保存体制を構築、2018年にパラッツォ・プッチでエミリオ・プッチ・ヘリテージ・ハブを創設して教育連携や若手支援プログラムを展開。2022年にはパラッツォN6を立ち上げ、体験型の文化発信を進める。2021年のLVMHによる完全取得を受けて現場の経営から退き、収蔵資料の保存・公開と国際的な文化交流に注力。ポリモーダやパラッツォ・ストロッツィ財団などの教育・文化機関に関わり、2022年にフィレンツェの日本名誉総領事に就任。色彩豊かなプリントを核にしたヘリテージを教育や体験に結びつける運営を行う人物。

Laudomia Pucci

1947 - 1992

エミリオ・プッチ

デザイナー

エミリオ・プッチについて

イタリアのファッションデザイナー/テキスタイル開発者、元国会議員(フィレンツェ拠点)。

イタリアのファッションデザイナー、侯爵、かつ元国会議員。フィレンツェを拠点にリゾートやスポーツ向けの服作りを主軸とし、鮮烈な幾何学的プリントと伸縮性のあるシルクジャージーで国際的評価を獲得した。ミラノでの予備教育を経て米国のジョージア大学とリード大学で学び、リード在学中に自作のスキーユニフォームが注目されてデザイン転身の端緒を得る。戦後はカプリにブティックを開き、1950年代以降は署名入りプリントのシルクジャージー・ドレスで名声を築く。色彩学や染色技術への探究から多色プリントや伸縮素材「エミリオフォーム」を導入し、スカーフやニット、アクセサリー、ホームコレクション、香水などへ事業を拡大。プリントはバティックや地中海のモザイクなどを取り入れた有機的かつ幾何学的な図案が特徴で、映画女優や著名人に愛用されジェット時代の国際的ライフスタイルを象徴。1963–1972年に国会議員を務め、1992年に没し娘ラウドミアが遺産を継承。20世紀中葉のプリント表現を代表する人物。

Emilio Pucci

Patou

1958 - 1963

カール・ラガーフェルド

デザイナー

カール・ラガーフェルドについて

ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター(パリ拠点)

Karl Lagerfeldは1933年9月10日生まれのドイツ出身でパリを拠点に活動したファッションデザイナー、写真家、クリエイティブ・ディレクター。1950年代から2019年までの半世紀以上にわたりシャネル、フェンディ、クロエなどで表現を再構築し、メゾンの近代化と商業的成功に寄与した。幼少期にパリで美術と歴史を学び、1954年の国際ウール賞で頭角を現してピエール・バルマンのアシスタントとして業界入りした。1958年以降はジャン・パトゥやクロエのコレクションを手がけ、1965年にフェンディの創造的指導を担って同社の毛皮とレザー部門を刷新した。1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターに就任してブランドの現代化を牽引し、1984年に自身の名を冠したレーベルを設立した。スケッチや写真、舞台演出まで含むビジュアル制作に深く関与し、黒のサングラスと白髪、ハイカラーの装いが象徴となった。2019年2月19日に逝去。

Karl Lagerfeld

1954 - 1958

マルク・ボアン

デザイナー

マルク・ボアンについて

フランスのオートクチュールデザイナー。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクター(1960–1989)。

マルク・ボアン(Marc Bohan、1926年8月22日 - 2023年9月6日)は、フランスのオートクチュールデザイナーで、クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターを長年務めた人物です。端正で抑制の効いたエレガンスと精緻なテーラリングを信条とし、女性の身体を美しく見せるスリムなシルエットで知られます。1950年代にロベール・ピゲ、エドワール・モリュー、ジャン・パトゥーらのもとで修業し、1958年にディオールのロンドン部門に参加。1960年に本店のクリエイティブディレクターに就任して以降、ベビーラインやメンズラインの立ち上げなどハウスの事業展開にも関わりつつ、グレース・ケリーやエリザベス・テイラー、イラン皇后ファラー・パフラヴィなど国際的な顧客に愛用されました。穏やかな人物像と実用性を重んじる服作りでディオールの伝統を長年支え、1989年の退任後はロンドンで活動を続けました。

Marc Bohan

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