ステファン・ジャンソン
Stephan Janson
フランス
1957
現在
フランス出身、ミラノ拠点のファッションデザイナー/メゾン創設者・クリエイティブディレクター
ステファン・ジャンソンについて
フランス出身、ミラノ拠点のファッションデザイナー。パリの服飾教育を経てKenzoのアトリエで実務を積み、1980年代にDiane von Furstenbergの招きでニューヨークでライセンス業務やコレクションのディレクションを担当した。1989年にミラノでメゾンを立ち上げ、Via Goldoniのブティック兼アトリエを拠点に“couture‑à‑porter”を掲げ、高品質なイタリア製素材と丁寧な仕立てを軸に少量生産で服を届ける。造形は斜め裁ちや流れるドレープを基調とし、南仏やマグレブの色彩感覚を取り込んだ洗練された日常性とエレガンスが特徴。編集・展覧分野にも活動領域を広げ、誌面や共著、展覧会の企画にも携わる。
キャリアタイムライン
ステファン・ジャンソンとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。
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ブランド / 役職
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経歴
パリのエコール・ド・ラ・シャンブル・シンディカル(École de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)で裁断と仕立ての基礎を学んだ。若年期にイヴ・サン=ローランの関係者と接する機会を得て、学校教育と現場経験を併せ持つことが基盤となっている。
パリでの学びを経てKenzoのアトリエで修業し、1980年代にDiane von Furstenbergに招聘されニューヨークでライセンス管理やコレクションのディレクションを担った。1989年にミラノで自身のメゾンを立ち上げ、Via Goldoniのブティック兼アトリエを拠点に“couture‑à‑porter”を展開する。1998年にはEmilio Pucciのアーカイブプリントを用いたコレクション制作を任されるなどブランド間の共同制作経験を持つ。以降はLoro Pianaなどとのプロジェクトやスタイルコンサルティングを経て、Cabana誌のEditor at LargeやMartina Mondadoriとの共著『YSL Lexicon』編集、2022年のYves Saint Laurent巡回展の共同キュレーションなど、制作と研究・編集を横断する活動を継続。販売は主にアトリエと限られた取扱店での少量流通を堅持し、時代の潮流に左右されない長く着られるワードローブづくりを基軸に据えている。
Emilio Pucciとの関わり
1998 - 1998
デザイナー
担当立場・担当領域:1998年にラウドミア・プッチの依頼で、エミリオ・プッチのアーカイブプリントを基にしたウィメンズコレクション制作を担当したミラノ拠点のデザイナー。 継承と再解釈:プッチにとって象徴的な鮮やかな幾何学プリントや色彩の伝統を受け継ぎつつ、アーカイブ柄を現代のウエアに落とし込む編集作業を軸とした。ラウドミア主導のアーカイブ活用の流れの中で、既存プリントのスケールや配置を見直し、現代的なシルエットに合わせて再構成する役割を担った。 プロジェクトの実際:取り組みは約50点規模のウィメンズコレクションとして具現化され、フィレンツェでの発表を経てサックスやバーニーズなどの小売関係者から取り扱いの検討を受けるなど商業面での注目を集めた。 役割の性格と位置づけ:ジャンソンの関与はプロジェクト型の短期起用に近く、数シーズンに限定された業務として位置付けられる。そのため人物礼賛ではなく、プッチのアーカイブを現代に再導入するための編集的なデザイン作業を担ったことに特徴がある。ブランド側ではこの時期に外部デザイナーを順次登用する再編が続き、ジャンソンの取り組みは復興期におけるアーカイブ活用の初期事例として位置付けられる。
在任期
1998年にラウドミア・プッチの要請で起用され、1998年初頭にフィレンツェで約50点のウィメンズコレクションを発表した短期契約のデザイナー起用。プロジェクトはアーカイブの再編集を目的とする限定的な仕事で、数シーズンの関与にとどまると伝えられる。その後ブランドは外部デザイナーを順次登用してクリエイティブ体制を変化させた。
影響
ジャンソンの関与は、プッチの象徴的なアーカイブプリントを現代の商業ウェアに再編集して再導入する役割を果たし、リテール層の関心を喚起してブランド復興期の動きを後押しした点が評価できる。ただし起用は短期的であったため、長期的なクリエイティブ路線の定着には直結せず、以降は複数の外部デザイナーを経てブランド方向性が再構築された点に留意する必要がある。
Stephan Jansonとの関わり
1989 - 継続中または終了年不明
デザイナー
ミラノ拠点のメゾン『Stephan Janson』の創業者兼デザイナーとして、1989年のブランド設立以降、コレクションの総括的なクリエイティブディレクションとアトリエでのプロトタイピング・生産管理を一貫して担う立場。パリでのクラシックなクチュール教育と、イヴ・サンローラン、ケンゾ、ダイアン・フォン・ファステンバーグでの実務経験を継承し、バイアス裁断や流れるようなシルエットを基軸にプロヴァンスや北アフリカの影響を再解釈した女性服を提示する。ブランド方針は「Couture‑à‑porter」として、シルク、リネン、ウール、ベロア、ジャカードなどのイタリア製素材を重視し年2回のコレクションでシーズンレスなワードローブを提案する。ミラノの自社アトリエ(Via Goldoni)でサンプルを制作し、過剰生産を避ける少量生産・選定流通を維持して顧客との長期的な信頼関係を築く。また、他ブランドへのデザインディレクションやコンサルティング、展覧会の共キュレーションや編集活動も行い、実務と文化的な仕事を往還する立ち位置を保つ。
在任期
1989年にミラノで自身の名義によるレーベルを立ち上げ、創業者兼主務デザイナーとして以後継続的にブランドのクリエイティブを指揮する。在任前はパリでのクチュール教育を経てケンゾやダイアン・フォン・ファステンバーグでキャリアを積み、国際的な実務経験を背景にメゾンを設立した。設立以降はミラノの自社アトリエを中心に少量生産と直営/セレクト流通を維持しつつ、外部プロジェクトを並行している。
影響
クチュール由来の裁断・仕立てを日常服に落とし込む「Couture‑à‑porter」の実践により、メイド・イン・イタリーの素材と仕立てを軸にしたシーズンレスで長持ちするワードローブの在り方を提示した点がブランドの特徴。少量生産・限定流通を前提とするビジネスモデルと顧客との長期的な信頼関係がブランドの持続性に寄与している。加えて展覧会や編集活動への関与を通じてデザイン実務とファッション史的解釈の接続にも影響を与えている。
Diane von Furstenbergとの関わり
1980 - 1989
クリエイティブ・ディレクター
ステファン・ジャンソンは、1980年代初頭にダイアン・フォン・ファーステンバーグのニューヨーク拠点へ招聘され、プレタポルテ部門のクリエイティブ責任者としてライセンス展開の監督とコレクションのデザイン統括を担当した。在任中はブランドが築いたフェミニンなアイデンティティやラップドレスの伝統を基盤に、量産ラインとコレクションの整合性を図る役割を担い、シーズンテーマの設計、プリントやカラーパレットの方向付け、パターンや仕立ての監修といった制作面の主導に従事した。ライセンス先や生産パートナーとの仕様調整、サンプル承認、ショールームでのコレクション提示に関わる制作ディレクションを通じて、商品企画とブランドイメージの一貫性確保に取り組んだ点が特徴となる。ケンゾでの経験やパリでの仕立て教育を背景に、着心地や実用性を重視する視点を導入し、フェミニンさを失わない範囲で日常性の高いラインを再解釈した。のちにクチュール関連の業務にも関与したと伝わり、1980年代中盤から後半にかけて自身のアトリエ設立や流通会社設立と並行して役割を移行させた経緯がある。
在任期
経歴記述によれば、ステファン・ジャンソンは1980年末にニューヨークへ移りダイアン・フォン・ファーステンバーグのプレタポルテのクリエイティブ業務に就任したとされる。一方で1986年に自身のアトリエ開設、1988年に流通会社設立の記録もあり、DVFでの担当は1980年代前半から中盤に集中し、その後自身の活動へ移行したと整理される。
関連ブランド
関わったグループ
関連する人物
Emilio Pucci
2021 - 継続中または終了年不明
2015 - 2017
2008 - 2015
2005 - 2008
2002 - 2005
2000 - 2002
1992 - 2000
1947 - 1992