フリオ・エスパダ
Julio Espada
アメリカ合衆国
1955
現在
ファッションデザイナー/アーティスト。プエルトリコ出身、ニューヨークを拠点。エミリオ・プッチ元アーティスティック・ディレクター。
フリオ・エスパダについて
プエルトリコ出身のファッションデザイナー兼アーティスト。1955年生まれと記録され、1970年代後半からニューヨークを拠点に自身の名を冠したブランド「Julio」を展開した。1980年にはMoMA PS1のファッション展『Fashion (Winter 1980–1981)』に出品され、商業流通や百貨店での取り扱いを経て美術館コレクションに所蔵される仕事を残す。2000年10月にエミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターに就任し、2001〜2002年のコレクションでプッチのプリントと色彩を現代的に再解釈した表現を発表した。デザインは鮮烈な色彩とグラフィックなプリント、ジェルシーやカットソー素材の機能的な扱いを特徴とし、その後は絵画やデジタルドローイングなどアート領域での展覧を中心に制作を継続する。
キャリアタイムライン
フリオ・エスパダとブランドとの関わりを年単位で横に並べています。
左右にスクロールして確認
ブランド / 役職
79
1979
80
1980
81
1981
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1982
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1983
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1984
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1985
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2015
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2019
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2020
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2021
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2022
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2023
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2024
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2025
26
2026
経歴
1970年代後半にニューヨークで自身のブランド『Julio』を立ち上げ、1980年12月7日〜1981年2月6日に開催されたMoMA PS1の『Fashion (Winter 1980–1981)』展に出品。1981年には『JULIO』の商標出願が記録され、百貨店や編集での取り扱いを通じて商業的な流通と美術館保存の双方に足跡を残す。2000年10月31日にエミリオ・プッチのアーティスティック・ディレクターに就任し、2001〜2002年にかけて同ブランドのレディ・トゥ・ウェアとランウェイ・コレクションを発表した(その後2002年に後任が就任)。プッチ在任後はファッションに由来する色彩感覚を軸に制作を美術へと広げ、ギャラリーでの個展や国際的なグループ展に参加する活動を続ける。
Emilio Pucciとの関わり
2000 - 2002
アーティスティック・ディレクター
エミリオ・プッチでアーティスティック・ディレクターを務め、ブランドのモダナイズと商品領域の強化を担当。フリオ・エスパダはLVMHが経営参加した時期の人事として2000年10月末に就任し、プッチの象徴的なプリントと色彩を継承しながらコレクションの現代化を図った。レディ・トゥ・ウェアを軸にシューズやアクセサリーなどの商材拡張も視野に入れたクリエイティブ体制の刷新を担った点が立場の特徴。デザイン面では伝統的な渦巻きや花柄プリントを再解釈し、シャープなカッティングや無地パネルとの組合せ、モザイク風グリッドやフェアアイル風ニットなどの新しい表現を導入して都会的な実用性を付与。ディテールでは鮮やかなシルク裏地やロゴ刻印入りのパールボタンなどラグジュアリー性を補強する仕立てを打ち出した一方、ヘリテージの扱いを巡る評価の分かれと短期での体制見直しが在任の重要な文脈となった。
在任期
就任発表は2000年10月31日付の報道で周知され、LVMHによる出資・経営参画(2000年)直後のクリエイティブ任命として位置づけられた。在任中は2001年コレクションで現代化の方向性を提示したが、2002年4月11日にクリスチャン・ラクロワの起用が公表され退任(在任期間は約1年半)となった。
影響
デザイン面の影響としては、プッチの伝統的プリントと色彩を軸にしつつ、シルエットや素材表現でモダン化を試みた点が挙げられる。Fall 2001コレクションではプリントの再解釈や細部の仕立てが評価される一方で、ヘリテージの扱いに関する批評も存在し、短期就任での交代により長期的な路線確立には至らなかったとの見方がある。
Julioとの関わり
1979 - 継続中または終了年不明
デザイナー
ブランド『Julio』の創設者兼メインデザイナーの立場で、1970年代後半にニューヨークで自身のエポニムライン『Julio』を立ち上げ、プレタポルテの服作りと店舗運営および百貨店向け流通を主導した。 小規模ながらMadison Avenueと72丁目角にショップを構え、リチャード・アヴェドン撮影の広告キャンペーン(モデルにイマン、アポロニア、ジャニス・ディッキンソン、パティ・ハンセン等を起用)や国内外の主要誌での誌面露出によりブランドの視覚的認知を高めた。 デザイン面ではクレア・マカードネルの機能美的精神を継承しつつ、バイアスカットや柔らかなドレーピング、軽量ジャージやシフォンを用いた“旅に適した”着やすいシルエットへ再解釈し、レオパードとタータンの組み合わせなど自由な柄使いも打ち出した。 ネイマン・マーカスやI. Magninといった高級小売での取扱いや、ミュージアムコレクションへの収蔵が確認され、商業的流通と保存・評価の両面で足跡を残した。 1978年にはLord & Taylorのデザイン賞を受賞するなど業界内でも注目を集め、本人はおおむね10年規模でラインを維持したと振り返っている。 独立したエポニム期の経験はその後の企業ブランドでのデザイン業務へと接続し、ペリー・エリスやエスプリでの実務を経て、のちにエミリオ・プッチでのクリエイティブな役割へと繋がった。
在任期
1970年代後半(おおむね1978–1979年頃)にエポニムライン『Julio』を立ち上げ、主に1980年代を通じて直営ショップと高級百貨店向け流通を並行して展開した。本人の回想や当時の小売・資料記録から、おおむね約10年間にわたり自社ラインを維持したとされるが、明確な終了日については資料に差異があるため特定しない。独立期の終了後は企業ブランドでのデザイン職へ移行した。
影響
『Julio』は着心地と携行性を重視した“旅する服”的なアメリカン・プレタポルテ像を提示し、柔らかなドレーピングと素材選び、自由な柄合わせで独自性を示した。リチャード・アヴェドン撮影の広告や主要ファッション誌での露出、ネイマン・マーカス等での取扱い、さらに博物館収蔵がブランド認知とデザインの持続性を支えた点が主な影響。
関連ブランド
関わったグループ
関連する人物
Emilio Pucci
2021 - 継続中または終了年不明
2015 - 2017
2008 - 2015
2005 - 2008
2002 - 2005
1998 - 1998
1992 - 2000
1947 - 1992